成田陽

没年月日:1992/12/24
分野:, (日)
読み:なりたあきら

 日展会友の日本画家成田陽は、12月24日午後7時15分急性心不全のため愛知県豊橋市の病院で死去した。享年70。雅号は陽。大正11(1922)年1月23日南満州で生まれ、生後6ケ月で父母とともに東京に移住、以後東京で成長した。東京駒込中学校を3年で中退。昭和24年中美展および第34回院展に「静郷」が入選する。26年中村岳陵に師事し、同年の第7回日展に「瓦斯工場」が初入選、以後昭和63年まで連年日展に出品した。41年に始まった日春展にも第1回から出品し、48年第8回「芽吹く頃」、50年第10回「水辺」は外務省買い上げとなっている。このほか関西綜合展で昭和30年「八ケ岳」が受賞、41年の中日展にも入選した。また個展を9回開催し、ヨーロッパ、中国に外遊。フィレンツェに取材した昭和62年第19回日展「旅情」、同じくイタリアのシーラに取材した翌63年第20回日展「旅の朝」などの作品を残した。日展らしい水平・垂直構図を基調とした堅固な作風の風景画を得意とした。

出 典:『日本美術年鑑』平成5年版(331頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月26日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「成田陽」『日本美術年鑑』平成5年版(331頁)
例)「成田陽 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10378.html(閲覧日 2024-04-19)
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