丹阿彌岩吉

没年月日:1992/11/24
分野:, (日)
読み:たんあみいわきち

 日本画家丹阿彌岩吉は、11月24日午後11時4分、肺炎のため東京都板橋区の病院で死去した。享年91。号丹阿彌。明治34(1901)年6月9日東京の両国に生まれ、小学校4年の頃から日本画を独学し始める。大正6年横山大観に入門し、同8年第6回再興院展に「牡丹」が初入選、10年第8回にも「百日紅」が入選した。同8年第5回院展試作展で「みだれ咲き」が甲賞を受賞、その後も10年同第7回「丘」、14年第11回「村」などを出品する。同15年第1回聖徳太子奉讃展に「麓」を出品。昭和期に入り落合朗風らの明朗美術連盟展に参加。10年第2回展「花バラの牆」、翌11年第3回「七面鳥」(2曲1双)、12年第4回「芙蓉」「蓮」などを出品し、11年には同人に推挙された。この間、昭和11年東京日本橋の白木屋で初の個展を開催し、以後連年個展を開催、13年以降は個展を活動の中心とした。年1回行なった個展の開催場所は、昭和11~17年東京日本橋白木屋、19~21年東京銀座鳩居堂画廊、22~26年(25年を除く)東京日本橋三越、28~41年(30年を除く)日本橋白木屋、42~61年(43、47、60年を除く)東京日本橋店で開催。「浅春」(39年)「雨(立葵)」(44年)「牡丹」「山狹横雲」(48年)「蓼科欲雨」「暮山餘照」(56年)「高山残雪」「雪嶺寒林」(59年)など、花鳥花卉から特に近年は山水風景画に充実した画境を展開していた。昭和61年11月東京都板橋区の東京都老人医療センターに入院、翌年8月退院、自宅で療養していた。

出 典:『日本美術年鑑』平成5年版(327頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月26日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「丹阿彌岩吉」『日本美術年鑑』平成5年版(327頁)
例)「丹阿彌岩吉 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10377.html(閲覧日 2024-03-28)

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