三谷十糸子

没年月日:1992/02/11
分野:, (日)

 女子美術大学学長もつとめた代表的な女流日本画家の一人三谷十糸子は、2月11日午前6時31分、ジン不全のため東京都杉並区の河北病院で死去した。享年87。明治36(1903)年7月28日兵庫県加古郡(現高砂市)に生まれ、本名敏子。大正11年兵庫県立第一高等女学校を卒業し、女子美術専門学校(現女子美術大学)に入学する。同14年同校を首席で卒業後、京都に移り、西山翠嶂の青甲社に入塾。昭和3年第9回帝展に「少女」が初入選し、翌年同第10回「露店」、5年第11回「独楽」、6年第12回「おとめ達」と出品した。7年第13回帝展で「女」が特選となり、それまでの暗い色調から澄んだ色調へと移行。翌8年第14回帝展で「朝」が再び特選を受賞し、9年同第15回展出品作「夕」は政府買上げとなった。戦後、昭和26年東京に移り、翌27年から母校女子美術大学で教授として教え、46年から50年まで学長をつとめる。この間、33年日展会員となり、39年第7回新日展で「若人の朝」が文部大臣賞を受賞、44年には前年の第11回新日展出品作「高原の朝」によって日本芸術院賞を受賞した。裕福な医者の家に一人っ子として育ち、少女時代に文学と詩にあこがれた三谷の作品は、モチーフに好んで少女を描き、厚く柔らかな色彩によるモダンで詩的な世界を展開した。40年日展評議員、48年理事、52年参事となり、日展のみならず女流日本画家の代表的作家の一人として活躍した。長女の三谷青子(日展会員)、さらにその長女の曽田朋子も、日本画家として活躍している。
帝展・新文展・日展出品歴
昭和3年第9回帝展「少女」、4年10回「露店」、5年11回「獨楽」、6年12回「おとめ達」、7年13回「女」(特選)、8年14回「朝」(特選・無鑑査)、9年15回「夕」(推薦)、12年第1回新文展「朝」(無鑑査)、13年2回「蟻」(無)、14年3回「月の暈」(無)、15年紀元2600年奉祝展「山家の雨」、17年第5回「風車咲く朝」、19年戦時特別展「豆の秋」、22年第3回日展「蓮」、23年4回「湯屋」(依嘱)、24年5回「草原」(依)、25年6回「花と娘」(依)、26年7回「鱒」(依)、27年8回「杜」(審査員)、29年10回「月の小徑」(依)、30年11回「私の夢」(依)、31年12回「三人の裸婦」(依)、32年13回「夜の海」(依)、33年第1回新日展「池畔有情」(会員となる)、34年2回「蝶」(審査員)、35年3回「少女と森」、36年4回「少女と森」、37年5回「野の花」、38年6回「秋の流れ」、39年7回「若人の朝」(審査員、文部大臣賞)、40年8回「若人の夏」、41年9回「小さな花束」、42年10回「夕」、43年11回「高原の朝」、44年第1回改組日展「夕」、45年2回「白い鳩笛」、46年3回「花野の朝」、47年4回「青い実」(審査員)、48年5回「爽やかな朝」、49年6回「朝野」、50年7回「夕」、51年8回「野」(審査員)、52年9回「野」、53年10回「棕櫚草の小径」、54年11回「林の朝」(審査員)、55年12回「山の花咲く」、56年13回「夕」、57年14回「月の出を待つ」、58年15回「笛の音」、59年16回「暮れ行く」、61年18回「暮れ行く」

出 典:『日本美術年鑑』平成5年版(310頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「三谷十糸子」が含まれます。
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