大川逞一

没年月日:1992/09/18
分野:, (彫)

古仏の模刻、補修などを行なった仏像彫刻家大川逞一は9月18日午後10時35分、心不全のため千葉県八日市場市の守病院で死去した。享年93。明治32(1899)年5月17日、千葉県匝瑳郡に生まれる。昭和2(1927)年東京美術学校彫刻科を卒業。高村光雲らに師事。同校研究科に進学し、3年間在籍した。同7年第19回二科展に「女の首」「坂本先生」「Yの首」で初入選する。同展には数回入選したが、それ以後は団体に属さず、日本彫刻史を独自に研究しつつ、法隆寺慈恩大師像、奈良薬師寺の玄奘三蔵法師像等を制作し、日光輪王寺の薬師如来像などの補修にも当たった。胤真、白湾とも号し、俳句をもよくした。

出 典:『日本美術年鑑』平成5年版(323頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

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例)「大川逞一」『日本美術年鑑』平成5年版(323頁)
例)「大川逞一 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10345.html(閲覧日 2024-04-20)

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