水谷頴介

没年月日:1993/02/04
分野:, (建)

 神戸市の「六甲アイランドCITY」の都市計画等にたずさわった建築家水谷頴介は2月4日午後0時15分、胃ガンのため福岡市中央区の済生会福岡総合病院で死去した。享年57。昭和10(1953)年2月14日、東京都に生まれる。兵庫県立芦屋高校を卒業して神戸大学工学部建築学科に学び、大阪市立大学大学院で工学研究科都市計画を専攻して修士課程を修了した。在学中の昭和31年日本建築学会競技設計で集合住宅が入選。同年尼崎記念館競技設計で第一次入選を果たし頭角をあらわす。同34年久米建築事務所に入る。翌年より同45年まで大阪市立大学工学部助手をつとめ、この間の同40年、鈴蘭台地区開発基本計画によって日本都市計画学会石川賞を受賞した。同45年より同56年まで都市・計画・設計研究所で活躍し、また同47年より61年まで社会システム研究所理事・所長をつとめた。同61年からは株式会社コー・プランの監査役であった。後進の指導にもつくし、同44年より55年まで大阪芸術大学講師、同44年より58年まで九州芸術工科大学講師、同54年より神戸大学講師、平成3年より神戸芸術工科大学講師として教鞭をとった。主要作品としては、都市計画に大阪湾総合開発(同40年)、神戸のアーバンデザイン(同41年)、福岡シーサイドももち市街地計画(同52年~)、都市設計に大阪既製服縫製近代化協同組合枚方工場団地基本計画・設計監理(同36年)、神戸市白川土地区画整理事業基本設計(同41年)、神戸港ポートアイランド基本設計(同45年)、板宿地区未来像計画(同49年)、建築設計に西川造園設計事務所(同40年)、グインホーム(同41年)、太陽工業枚方工場、住宅設計に垂水の家「高田邸」(同49年)、塚口の家「木川田邸」(同51年)等がある。論文、著作も多く、著者には『地域・環境・計画』(SD選書、同47年)、『家家』(共著、学芸出版社 同59年)がある。ルイス・カーン、村野藤吾を高く評価し、都市と自然、文化伝統などに配慮した都市計画・設計を特色とした。

出 典:『日本美術年鑑』平成6年版(317-318頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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