森京介

没年月日:1992/06/10
分野:, (建)

 茨城県歴史館等の建築設計を手がけた建築家森京介は6月10日午後5時38分、肺炎のため東京都新宿区の慶応大学病院で死去した。享年66。大正14(1925)年7月3日、東京都新宿区で生まれる。外交官であった父新一の任地仏領インドシナの幼年時代を過ごし、昭和18(1943)年東京市立第一中学校を卒業。同22年旧制水戸高等学校を卒業し、同24年には旧制成城高等学校を卒業した。その後東京工業大学に入り建築学科に学んで同28年に卒業。同年山田守建築事務所に入る。同31年同社を退社し、翌32年に森京介建築設計事務所を設立。同年東京荻窪東宝劇場等の建築設計にあたり、同36年後楽園箱根ロッジ、同38年東京オリンピック軽井沢総合馬術競技場の建築に従事した。同38年森京介建築設計事務所を株式会社森京介建築事務所に改める。同40年熱海後楽園、同46年茨城県歴史館、同54年栃木厚生年金休暇センター、琉球大学教養学部、同55年持田製薬名古屋支店、同60年清川カントリークラブ、61年札幌勤労者職業福祉センター、平成2年西那須野町庁舎、同3年KKR HOTEL OSAKA等を手がけ、昭和57年長年の功績に対し日本建築士会会長賞を贈られた。晩年、洋画家伊藤清永と出会ったのが契機となり、少年期に志しながら遠ざかっていた洋画家への夢を捨てがたく、洋画を描き始め、昭和60年第61回白日会展に「花のある空間」で初入選、同62年第63回展に「光の中の娘」を出品して会友に推され、平成2年第66回展に「花萌」を出品して白日会準会員に推挙された。日本消防会館、和三紫ビル、吉備高原カントリークラブの壁画も制作。著書に『商業建築企画設計資料集』『ホテル業の現状と将来』などがある。

出 典:『日本美術年鑑』平成5年版(319頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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