浅田孝

没年月日:1990/12/04
分野:, (建)

 自然と都市の共存を提唱した都市計画家、浅田孝は12月4日午後9時54分、心不全のため東京都渋谷区の都立広尾病院で死去した。享年69。大正10(1921)年3月19日、愛媛県松山市に生まれる。旧制松山高等学校理科甲類を経て、昭和18(1943)年、東京帝国大学工学部を卒業する。戦後、同21年から東京大学大学院で都市計画、地域計画を学び直す一方、丹下健三助教授と協力して丹下研究室を創立する。同26年東京大学大学院特別研究生を終了し、丹下研究室の主任研究員として広島平和記念公園施設、香川県庁舎などの設計監理を担当する。翌27年、早稲田大学講師となる。同31年、日本建築学会南極特別委員会委員兼設計部会主任となり、南極昭和基地のオペレーション計画、携行建物のシステム設計、製作監理などにたずさわる。同34年、世界デザイン会議運営財団を発足させ、翌35年世界デザイン会議を実施、運営する。また、同35年、「こどもの国建設推進委員会」委員となり、「こどもの国」の総括設計者としてその設立に尽力。同36年、地域開発・環境問題の調査研究のため株式会社環境開発センターを設立、主宰し、香川県観光総合開発計画など大規模な地域開発、施設計画等を行なう。同42年、日本都市計画学会より「坂出市人工土地計画の実施」に対して石川賞を贈られる。同47年、通産省・沖縄海洋博覧会「事業企画」「会場計画」委員としてその開催に尽力した。戦後の都市化、地域開発の設計、実施に力を注ぐ一方、文筆による方法論の提起も活発に行ない、昭和30年、『新建築』に「原爆下の戦後10年-日本人の建築と建築家」の特集を組んで戦後復興の方向についての世論を呼びおこし、同39年『都市問題』に「都市と開発のヒューマン・リニューアル」を発表して都市建設のあり方を提言するなど、時代の変化に応じた有効で豊かな都市計画への指針を示し続けた。著書に『天・地・人の諸相をたずねて』(昭和57年)、『地域社会の豊かさを求めて』(共著、同60年)などがある。

出 典:『日本美術年鑑』平成3年版(326-327頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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