海老原一郎

没年月日:1990/05/07
分野:, (建)

憲政記念館や霞が関ビル設立以前には日本で最も高いビルであったディック・ビルの設計で知られる日本芸術院会員の建築家海老原一郎は、5月7日午前10時15分、急性心不全のための東京都品川区の自宅で死去した。享年84。明治38(1905)年8月4日、東京都墨田区に生まれ、大正13(1924)年に東京美術学校建築科に入学。山口文象と知り合い分離派運動に加わる。昭和5(1930)年東京美術学校を卒業して石本建築設計事務所に勤務し始める。同13年海老原建築設計事務所を設立し、同28年それを株式会社に改組してその代表取締役となった。同33年尾崎記念会館(現、憲政記念館)設計競技に応募し、美校時代から持ち続けた前衛的造形思考をモダニスム建築としてあらわして注目され一等に当選する。同46年、尾崎記念館等一連の作品により戦後のモダニズム建築に先鞭をつけた業績を認められ日本芸術院賞を受賞、同51年より55年まで日本建築家協会会長をつとめた。同56年、日本芸術院会員となる。他の代表作に大日本インキ化学総合研究所、川村記念美術館などがあり、晩年には昭和57年より61年まで母校の東京芸術大学で客員教授として教鞭をとり、同58年より全国の建築家、建築学者の組織「核兵器の廃絶を求める建築人の会」代表をつとめるなど、技術面、思想面で後進への指針を示した。

出 典:『日本美術年鑑』平成3年版(291-292頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「海老原一郎」『日本美術年鑑』平成3年版(291-292頁)
例)「海老原一郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10320.html(閲覧日 2024-04-19)

以下のデータベースにも「海老原一郎」が含まれます。
to page top