児玉博

没年月日:1992/01/01
分野:, (工)

「伊勢型紙」の縞彫りで国の重要無形文化財保持者(人間国宝)の児玉博は、1月1日午後10時58分、尿管腫ようのため三重県鈴鹿市の中勢総合病院で死去した。享年82。明治42(1909)年10月13日、三重県白子町に生まれる。父房吉に幼少時から伊勢型紙の技術指導を受けた。大正13(1924)年白子町立工業学校を卒業。翌年父の死去により上京し、浅草の伊藤宗三郎に入門して同家の職人となり、縞彫を中心に修業を重ねた。昭和4(1929)年独立して日本橋に開業。同8年、型付師小宮康助の型紙を彫り、以後康助、康孝父子の江戸小紋染に欠かせぬ存在となった。同17年戦火を避けて郷里へ帰った。戦後は縞小紋が不人気でもあり、同23年より同39年に停年退職するまで百五銀行本店に勤務しつつ、型紙の制作を続けた。日本伝統工芸展にも出品。曲一寸(約3センチ)幅に30本もの縞筋を引く精致な技で知られる。同52年津市の石水会館で「児玉博作品展」が開かれ、同61年三重県民功労賞を受賞した。

出 典:『日本美術年鑑』平成5年版(308頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

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例)「児玉博」『日本美術年鑑』平成5年版(308頁)
例)「児玉博 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10296.html(閲覧日 2024-04-20)
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