江川和彦

没年月日:1981/01/14
分野:, (評)

戦前・戦後を通じ美術評論の分野で活躍した江川和彦は、1月14日、ガン性胃潰瘍のため東京・五反田の松井病院において死去した。享年84歳であった。本名を銀蔵といい、1896(明治29)年7月6日、東京の麻布に生まれた。1920(大正9)年に早稲田大学文学部哲学科を卒業してのち、数年にして早くも美術雑誌に美術評論を発表して評論活動を始め、以後約50年の間、美術展評を中心に作家論、現代美術の紹介など毎年数多くの論考を執筆した。美術評論活動の一方で、40(昭和15)年には美術問題研究会の会員となり、戦後には49年の美術評論家組合の創立に加わり、50年の改組と51年の美術評論家クラブへの改称後も幹事として活躍した。次いで54年の美術評論家連盟の結成当初からその会員となり55年から5年間は常任委員をつとめた。さらに52年からは武蔵野美術学校の講師となり、62年武蔵野美術大学設置とともにその教授に就任した。67年に定年退職して後も晩年まで非常勤講師として教鞭をとった。常に現代美術の動向を注視し、新宿・風月堂画廊では新人紹介の企画を10年余り続け、美術雑誌に執筆した展覧会評は約480に達する。
主要著述目録
1926年 民族文化史雑話 美之国 1-5
1937年 ピカソの芸術(サルバドル・ダリ)(訳) アトリエ 14-6
1938年 原始ネグロ芸術の現代への関心 美之国 14-9
            ローゼンベルクの美術革新論 美之国 15-17
1939年 デッサンの近代的発展とピサネロのデッサン みづゑ 417
1940年 ギリシャ壺瓶絵画の諸要素とその発達 みづゑ 424
            ポリグノートス以降のギリシャ絵画 みづゑ 428
1941年 バビロニアのテラコッタ アトリエ 18-5
            クラナッハの周囲 アトリエ 18-5
            芸術文化の建設と美術批評の問題 アトリエ 18-6
1942年 芸術に於ける亜細亜的性格の一考察1 生活美術 2-11
1943年 同上2、3 生活美術 3-3、4
1949年 近代絵画の要素しての光と影 アトリエ 273
1950年 海外前衛絵画の動向(アメリカ) アトリエ 277
            コンスタン・ブランキュジュ アトリエ 280
1951年 抽象絵画小史 アトリエ 295
1952年 近代画家達の自画像 美術手帖 56
            グロメールの見たニューヨーク アトリエ 305
1953年 新しい空間の造型 美術手帖 79
            抽象絵画は何故描くのか 萠春 2-9
            近代絵画の造形要素としてのフォルム アトリエ 328
            具象と抽象 アトリエ 332
1956年 抽象芸術の考えと技法 アトリエ 380
            抽象美術文献抄 現代の眼 44
1964年 現代芸術の中のオリエント1~5 三彩 175、177~180
1965年 「美術新報」の足跡 本の手帖 1-7
1966年 ジョージ・ケペッシュの芸術論 三彩 197
1975年 日本のシュルレアリスム絵画を基礎づけた戦前の動き 現代の眼 251

出 典:『日本美術年鑑』昭和57年版(268-269頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「江川和彦」『日本美術年鑑』昭和57年版(268-269頁)
例)「江川和彦 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10280.html(閲覧日 2024-03-19)

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