久富貢

没年月日:1988/02/23
分野:, (美評)

美術評論家、東京学芸大学名誉教授の久富貢は、2月23日午前8時45分、心筋梗塞のため東京都世田谷区の至誠会第二病院で死去した。享年79。明治41(1908)年8月28日福岡県山門郡に生まれる。広島高等学校卒業後、京都帝国大学に入学し、昭和7年同大文学部美学美術史学科を卒業する。同年東京帝国大学文学部大学院に入学したが、10年中退、日本大学講師となる。12年国際文化振興会に勤務し、21年4月同編纂課長となった。22年中央労働学園専門学校講師、23年3月法政大学講師を経て、25年4月東京学芸大学講師、26年同大教授となり、教鞭をとった。同26年「日本来朝前のフェノロサ(1)(2)」(『国華』712、713)、続いて27年「フェノロサについて」(美学2(4))、29年「アーネスト・フェノロサ-その思想と美術上の活動」(東京学芸大学研究報告第6集別冊(1))を発表。32年にはそれらをまとめ、優れた最初のフェノロサ研究書『フェノロサ-日本美術に捧げた魂の記録』(理想社)を刊行した。その後も、39年「Lawrence W.Chisolm,“Fenollosa;the Far East and American Culture”について」(東京学芸大学研究報告16(1))、42年「チゾムの『フェノロサ』を中心として」(本の手帖61)、同年「フェノロサとその周辺」(日米フォーラム13(8))などを発表する。34年より36年まで東京学芸大学附属図書館館長を兼任し、39年には文部省在外研究員として欧米に出張している。47年3月東京学芸大学を停年退官、同年6月名誉教授となった。翌48年4月共立薬科大学教授となり、49年跡見女子大学教授(共立薬科大学教授を引続き兼任)となる。この間、38年10月『小川芋銭富田渓仙』(講談社『日本近代絵画全集』第19巻)、49年1月『前田青邨』(集英社『現代日本美術全集』第15巻)、『安田靫彦』(中央公論社『日本の名画』第14巻)などを刊行。さらに55年『フェノロサ-日本美術に捧げた魂の記録』に加筆訂正した『アーネスト・F・フェノロサ』(中央公論美術出版社)、56年ジョン・ラファージの日本旅行記を翻訳した『画家東遊録』(中央公論美術出版社、桑原住雄と共著)を出版するなど、フェノロサをはじめ近代日本美術研究に多大の貢献を残した。研究業績については、フェノロサ学会機関誌『Lotus』第9号を参照されたい。

出 典:『日本美術年鑑』平成元年版(256頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「久富貢」『日本美術年鑑』平成元年版(256頁)
例)「久富貢 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10271.html(閲覧日 2024-04-20)

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