谷川徹三

没年月日:1989/09/27
分野:, , (学,評)

 哲学者で、思想、芸術、文学など広範な領域で評論活動を行い、平和運動にも積極的にかかわった文化功労者、日本芸術院会員の谷川徹三は、9月27日虚血性心不全のため東京都杉並区の自宅で死去した。享年94。帝室博物館次長、法政大学総長、財団法人明治村理事長などを歴任した谷川徹三は、明治28(1895)年5月28日愛知県知多郡に生まれた。愛知県立第五中学校、第一高等学校を経て、西田哲学にひかれ京都帝国大学文学部哲学科へ進み、大正11(1922)年卒業した。その後、竜谷大学、同志社大学、京都市立絵画専門学校などで講師をつとめ、昭和3年法政大学教授に就任、のち文学部長となる。また、和辻哲郎、林達夫らと雑誌「思想」の編集に携わる。戦前の著作に『感傷と反省』(大正14年、岩波書店)、『生活・哲学・芸術』(昭和5年、岩波書店)などがあり、宮沢賢治の研究、紹介は戦後にも及んだ。戦後は雑誌『心』同人に参加。同20年11月から翌年11月までの間中央公論社理事、同21年11月から同23年6月まで帝室博物館(のち国立博物館)次長、同38年2月から同41年8月の間、法政大学総長をつとめた。同50年日本芸術院会員となり、同62年には文化功労者に顕彰された。この間、柳宗悦らとの交際をはじめ、はやくから映画を含む芸術活動全般に深くかかわり、卓越した鑑賞能力により芸術作品へもすぐれた洞察を示し、多くの評論、随想を残している。戦後の著作に、『東と西の間の日本』(昭和33年、岩波書店)、『芸術の運命』(同39年、岩波書店)、『茶の美学』(同52年、淡交社)、『生涯一書生』(同63年、岩波書店)などがある。没後、従三位勲一等瑞宝章が追贈された。

出 典:『日本美術年鑑』平成2年版(252頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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