田中一松

没年月日:1983/04/19
分野:, (学)

 元東京国立文化財研究所長、文化財保護審議会委員田中一松は、4月19日午前6時30分、老衰のため、東京都杉並区の駒崎病院で死去。享年87。明治28(1895)年12月23日、山形県鶴岡市に生まる。山形県鶴岡中学校(当時庄内中学校)、第一高等学校第一部文科を経て、大正7(1918)年9月東京帝国大学文学部に入学、同12年3月美学美術史学科を卒業、同13年12月東京帝室博物館美術課嘱託(同15年12月まで)、同15年12月古社寺保存計画調査嘱託、昭和10年3月国宝保存に関する調査嘱託、翌11年10月重要美術品等調査委員会臨時委員、同20年10月社会教育局国宝保存に関する調査嘱託、同22年5月国立博物館の事務嘱託、同年8月文部技官任官、国立博物館勤務、同25年9月文化財保護委員会保存部美術工芸課勤務、同年12月文化財専門審議会専門委員(同41年2月まで)、同27年10月東京国立文化財研究所美術部長、翌28年11月東京国立文化財研究所長、同33年7月欧州巡回日本古美術展派遣団長として渡欧、帰途インドの美術遺跡、博物館を視察(同34年3月まで)、同40年3月東京国立文化財研究所長退官、同年4月国華社主幹(同52年8月まで)、同41年2月文化財保護委員会委員(同43年6月まで)、同42年勲三等旭日中綬章受章、同43年6月文化財保護審議会委員(同51年6月まで)、同47年8月高松塚古墳総合学術調査会副会長(同48年4月まで)、同48年4月浮世絵に関する国際シンポジューム出席及び東洋美術品コレクション調査等のためアメリカ合衆国に出張(5月12日まで)、その間、5月アメリカ合衆国フリア美術館よりフリア・メダルを受賞、同49年11月勲二等瑞宝章受章、同52年8月国華社編集顧問、その間、女子美術専門学校、日本大学、東北大学、早稲田大学、金沢美術工芸大学、東京大学等の講師および、日本中国文化交流協会、トキワ松学園、中央美術学園、栃木県立美術館、根津美術館、畠山記念館、出光美術館、頴川美術館、山種美術館、致道美術館、博物館明治村、本間美術館等の役員を勤めた。同58年4月19日死去に際し従四位に叙せられた。以上の経歴が示すように、終始一貫してわが国文化財保護の行政に従事し、主として絵画作品の実査研究を行った。その研究領域は広範にわたり、仏教美術をはじめ、倭絵、絵巻物、水墨画、宋元画、宗達・光琳派、南画にまで及んでいる。そして、その学識は多くの研究者を養成、指導し、その学恩に浴すものは少くない。研究業績としては、大正9年以来、種々の学界誌や書籍に発表されているが、その主要な論文は昭和33年の還暦記念出版『日本絵画史の展望』(美術出版社)、同41年の古希記念出版『日本絵画論集』(中央公論美術出版)、没後同60年及び61年に出版される『田中一松絵画史論集』上・下(同上)に収録されている。また、編集ないし監修の主な全集には『日本絵巻物集成』(1929~32年)、『宋元名画集』正続(1928~32・38年)、『東山水墨画集』(1934~36年)、『日本絵巻物集成』改訂版(1942~44年)、『続日本絵巻物集成』(1942~45年)、『池大雅画譜』(1956~59年)、『日本絵巻物全集』(1958~69年)、『日本美術全史』上下(1959・60年)、『水墨美術大系』(1973~76年)、『新修日本絵巻物全集』(1975~80年)などがあり、そのほか、早くから雑誌「国華」の編集に関与して、昭和40年より同50年にいたる間には主幹として多くの新出作品の紹介につとめた。また、詩文や和歌をよくし、書画を巧みにした文人であった。

出 典:『日本美術年鑑』昭和59年版(301-302頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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