片桐修三

没年月日:1984/04/02
分野:, (学)

日本大津絵文化協会会長で、大津絵研究の第一人者であった片桐修造は、4月2日午後3時52分、結腸ガンのため、大津市の大津市民病院で死去した。享年81。明治35(1902)年11月15日、大津市に生まれ、昭和3(1928)年、同志社大学英文科を卒業。同5年、大津市役所に就職し、同20年、同所を税務課長として退く。同21年より40年まで滋賀県庁で図書館司書をつとめる。同45年、大阪で万博が開かれた際には、「大阪日本民芸館」に勤務する。民芸を再評価した柳宗悦に学生時代から師事し、郷土の生んだ大津絵について、広く交通・産業史や文化とのかかわりをも視野に入れて研究し、大津絵の名の由来や、絵画内容の変遷についての論考を残した。一幹を号とする。岩佐又兵衛を大津絵の開祖と考える論に対し、決定的証拠の欠如を理由に反論。また、大津絵の発展過程を、大津仏画がはじめに生まれ、これに大津浮世絵が加わり、大津絵が独自の様式を獲得する時代を経て、大津絵仏画と大津浮世絵が共存するようになったとする論を展開し、従来あいまいであった大津絵研究に、科学的、客観的態度であたり、貢献するところが大きかった。昭和47年より52年までは甲子園短期大学司書兼講師、同52年より55年までは滋賀女子短期大学非常講師をつとめ、教育にも力をつくしたほか、『大津絵について』『原色大津絵図譜』『大津絵講和』および『文献を基とした大津絵略年譜』(『柳宗悦選集』 第十巻 大津絵所収)などの著書がある。『大津絵講話』は昭和59年滋賀県文学祭で入賞している。また、同52年に設立された日本大津絵文化協会では、設立以来会長をつとめ、機関誌「大津絵」にも執筆した。

出 典:『日本美術年鑑』昭和60年版(244頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「片桐修三」『日本美術年鑑』昭和60年版(244頁)
例)「片桐修三 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10222.html(閲覧日 2024-03-29)
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