千沢楨治

没年月日:1984/04/21
分野:, (学)

 山梨県立美術館長、全国美術館協議会理事、千沢楨治は4月21日午前7時15分、急性心不全のため東京都渋谷区の日赤医療センターで死去した。享年71。1912(大正元)年9月23日、千葉直五郎の二男として東京に生まれ、1936(昭和11)年、千沢平三郎の養子となる。1937年、東京帝国大学文学部美術史学科を卒業、ひきつづき1941年3月まで同学科研究室副手、1944(昭和19)年3月まで同助手、同年4月帝室博物館鑑査官補、1947(昭和22)年4月、東京国立博物館文部技官となり、1974(昭和49)年3月退官するまでの間、同博物館彫刻室長、東洋館開設準備室長、美術課長、学芸部長を歴任した。退官後は、1975(昭和50)年4月から1982(昭和57)年3月まで町田市立博物館長、1976年から1978(昭和53)年まで山梨県立美術館開設準備顧問、そして1978年8月、初代の山梨県立美術館長に就任。ミレー、コローを中心としたバルビゾン派の作品の収集に努め、特色ある美術館づくりに尽力した。この間、1977(昭和52)年から1983年まで上智大学教授、また講師として出講した大学は、東京女子大学(1941~83)、実践女子大学(1958~62)、東京大学(1966~73)、上智大学(1973~77)、明治大学(1974~78)、学習院女子短期大学(1977~83)、青山学院女子短期大学(1980~84)におよんで、美術史教育にも力をつくした。また地方や民間の美術館運営にも尽力し、顧問、評議員となった美術館は、大倉集古館(1974~84)、碌山美術館(1975~84)、浮世絵太田記念美術館(1977~84)、栃木県立美術館(1978~84)、茅野市総合博物館(1982~84)である。その専門は日本美術史で、特に彫刻および琳派に関する業績があげられる。主な著書に、『金銅仏』(講談社1957)、『宗達』(至文堂 1968)、『光琳』(至文堂 1970)、『酒井抱一』(至文堂 1981)がある。1984年4月20日、勲三等瑞宝章を受章、同21日死去に際して正四位に叙せられた。さらに同年10月、山梨県政特別功績者表彰を受けた。

出 典:『日本美術年鑑』昭和60年版(247-248頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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