深井晋司

没年月日:1985/02/07
分野:, (学)

古代オリエント美術・考古学の権威で、文学博士、東京大学東洋文化研究所教授、元同研究所長の深井晋司は、2月7日午後5時21分、外出先の東京都中央区の路上で心筋こうそくのため倒れ、救急車で日本橋兜町の中島病院に運ばれたが死去した。享年60。大正13(1924)年9月19日、広島県安芸郡に生まれ、昭和17(1942)年3月に東京府立第一中学校を卒業した。19年9月、第一高等学校文科甲類を卒業し、同年10月、東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学したが、20年3月から21年5月まで兵役のため休学し、24年3月に同学科を卒業。続いて同年4月から同大学大学院に進み、28年4月からは同大学文学部助手。さらに31年4月には東京大学東洋文化研究所助手となり、37年5月から同研究所講師、36年1月には同研究所助教授、45年4月からは同研究所教授となり、53年4月から2年間は同研究所の所長をつとめた。専門とした研究領域は、古代オリエントを中心とした西アジア美術史であったが、特に古代ペルシアのガラス器研究に関しては、正倉院伝来の瑠璃碗がペルシア起源をもちシルクロードを経由して伝来したことを証明するなど世界的権威であった。東洋文化研究所においても西アジア研究を担当し、31-32年、江上波夫教授(現在、名誉教授)を団長とする東京大学イラク・イラン遺跡調査団(第1期第1次)の美術史班として参加したのを初めとして、34年(第2次)、35年(第3次)、39年(第4次)、40-41年(第5次)のすべてに加わった。第1期調査に関する報告書の刊行を50年に完了した後、51年からは調査団を改組した東京大学イラン・イラク学術調査の中心となり、51年(第2期第1次)、53年(同第2次)に現地調査を実施した。現地における発掘調査等による最新の資料に基づき、古代ガラス器研究においては、日本における西アジア美術史研究を世界の水準に追いつかせた功績が高く評価されている。43年2月にはペルシア古美術研究の業績により、東京大学より文学博士の学位を得、54年7月には紺綬褒章を授与されている。なお、没後、3月1日付で正四位勲三等旭日中綬章に叙位叙勲された。著書としては、『ペルシアの芸術』(東京創元社、昭和31年)、『ペルシア古美術研究・ガラス器・金属器』(吉川弘文館、昭和43年)、『PERSIAN GLASS』(Weatherhill,New York,1977)、『ペルシア古美術研究』第2巻(吉川弘文館、昭和55年)、『CERAMICS OF ANCIENT PERSIA』(Weatherhill,New York,1981)、『ペルシアのガラス』オリエント選書12(東京新聞社、昭和58年)などがある。著作活動は概説、調査報告、共同執筆になる発掘報告・論文と多数あるが、ここでは定期刊行物所載の邦文の研究論文のみを発表順に記す。
シャミー神殿出土の青銅貴人像とパルティアの美術(美術史12、昭和29年3月)
ハトラ出土の遺物とパルティア美術(東洋文化研究所紀要16、33年12月)
正倉院宝物白瑠璃碗考(国華812、34年11月)
沖ノ島出土瑠璃碗断片考(東洋文化研究所紀要27、37年3月)
ギラーン州出土銀製八曲長坏に関する一考察(国華842、37年5月)
ギラーン州出土切子装飾瑠璃壷に関する試論(東洋文化研究所紀要29、38年1月)
アナーヒター女神装飾八曲長坏に関する一考察(国華859、38年10月)
ハッサニ・マハレ出土の突起装飾瑠璃碗に関する一考察(東洋文化研究所紀要36、40年3月)
アナーヒター女神装飾の銀製把手付水瓶に関する一考察(国華878、40年5月)
デーラマン地方出土帝王狩猟図銀製皿に関する一考察(国華892、41年7月)
三花馬・五花馬の起源について(東洋文化研究所紀要43、42年3月)
ギラーン州出土の二重円形切子装飾瑠璃碗に関する一考察-京都上賀茂出土の瑠璃碗断片に対する私見-(東洋文化研究所紀要45、43年3月)
アゼルバイジャン地方出土獅子形把手付土製壷について(国華918、43年9月)
アゼルバイジャン出土の鐺の押型について(東洋文化研究所紀要49、44年3月)
パルティア期における馬の造形表現(東洋文化研究所紀要50、45年3月)
パルティア期における青銅製小動物像について(東洋文化研究所紀要53、46年2月)
デーラマン地方のコア・グラス(東洋文化研究所紀要56、47年3月)
ササン朝ペルシア銀製馬像に見られる馬印について(東洋文化研究所紀要62、49年2月)
イラン高原出土緑釉六曲把手付坏に関する一考察(東洋文化研究所紀要80、55年2月)
最近我国に将来されたイスラーム時代初期の陶磁器二点について(東洋文化研究所紀要81、55年3月)
イラン高原出土の唾壷とその源流について-正倉院宝蔵紺瑠璃壷に関連して-(正倉院年報2、55年3月)
最近我国に将来されたエラムの古代ガラス二点について(東洋文化研究所紀要87、56年11月)
伝ギラーン州出土円形切子装飾台付坏に関する一考察(東洋文化研究所紀要97、60年3月)
東西交渉史研究における諸問題-所謂イラン高原出土の円形切子装飾瑠璃碗の研究を中心に-(美術史論叢1、60年5月)
なお、62年2月に『深井晋司博士追悼・シルクロード美術論集』(吉川弘文館)が刊行された。

出 典:『日本美術年鑑』昭和61年版(247-248頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「深井晋司」『日本美術年鑑』昭和61年版(247-248頁)
例)「深井晋司 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10215.html(閲覧日 2024-04-25)

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