森蘊

没年月日:1988/12/14
分野:, (学)

 庭園文化研究所長、元奈良国立文化財研究所建造物研究室長森蘊は、12月14日午後10時48分、急性ジン不全のため奈良県天理市の天理よろづ相談所病院で死去した。享年83。数年前に軽い脳梗塞で倒れ、回復後、この3月に再び倒れていた。明治38(1905)年8月8日、東京都立川市に生まれる。一高卒業後、昭和7年東京帝国大学農学部林学科を卒業し、同大学院に進学、9年修了する。この間、昭和8年5月内務省衛生局嘱託となり、13年1月より厚生省体力局施設課に勤務、国立公園を担当するこの部局で、庭園などにも関する実務の基礎を築く。また昭和7年頃より京都、鎌倉、平泉などの庭園や遺跡を調査し、昭和13年「京都に残る平安期の庭園遺跡を訪ねて」(『庭園』20-3)、「枯山水」(『宝雲』23)を発表。14年1月発足した『建築史』に同人として参加し、「法金剛院の庭園について」(第1巻1号、2号)をはじめ、19年の終刊まで執筆を続ける。また14年「平安時代前期庭園に関する研究」(『建築学会論文集』13、14)、14~16年「泉殿、釣殿の研究1~3」(『宝雲』)など、建築と一体化した庭園史研究を進める。16年厚生省から転じて東京市技師となり、19年井之頭公園自然文化園園長に就任。20年1月には海軍技師となり、ボルネオ民政部員として南ボルネオ地方の原始住居や農業園芸などの調査にあたる。21年5月復員後東京都の農事試験場に勤務。22年5月より一時東京植木株式会社に研究部長として勤めたのち、同年8月国立博物館嘱託となり、修理課で文化財保護に携る。25年文化財保護法成立により文化財保護委員会が設立され、修理課は同委員会の建造物課となった。この間、20年7月戦前の庭園研究の集大成として『平安時代庭園の研究』を刊行。戦後は桂離宮の研究に取り組み、25年「桂離宮古書院について」(『建築史研究』3)、26年「桂離宮古図について」(同8)、26年『桂離宮』(創元選書)などを発表する。27年奈良国立文化財研究所が新設され、建造物研究室の初代室長に就任。奈良に移って以後、桂離宮、修学院離宮のより精密な研究を進め、29年『修学院離宮の復元的研究』(奈文研学報第2冊)、30年「修学院離宮造営に利用された建物と地形について」(『文化史論叢』奈文研学報第3冊)を発表、両離宮の研究により、29年東京工業大学より工学博士号を授与され、34年には日本建築学会賞を受賞した。その後も庭園と建築を一体化させた研究を進め、旧興福寺大乗院についてまとめた34年『中世庭園文化史』(奈文研学報第6冊)、37年『寝殿造系庭園の立地的考察』(同学報第13冊)、近世庭園についても41年『小堀遠州の作事』(同学報第18冊)などを著す。42年奈良国立文化財研究所を退官したのち、京都市に庭園文化研究所を設立。浄瑠璃寺、忍辱山円成寺、法金剛院、白水阿弥陀堂、平泉毛通寺、和歌山城紅葉溪などの庭園を発掘、復元したほか、唐招提寺、薬師寺などの庭園の設計も行なった。49年『庭ひとすじ』で毎日文化賞を受賞し、このほか46年『奈良を測る』、61年『作庭記の世界』などを刊行している。

出 典:『日本美術年鑑』平成元年版(277-278頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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