伊藤隆康

没年月日:1985/02/15
分野:, (造形作家)

造形作家の伊藤隆康は2月15日肝がんのため東京都港区の慈恵医大附属病院で死去した。享年50。昭和9(1934)年8月31日兵庫県明石市に生まれ、同33年東京芸術大学美術学部油画科を卒業する。在学中は小磯良平教室に属し、同期に高松次郎中西夏之工藤哲巳らがいた。卒業後、東横百貨店宣伝部に就職、ディスプレイ・デザインの仕事に従事する側ら、制作活動を行う。当初から石膏などの素材を用いた造形作品をめざし、同34年村松画廊で初の個展を開催、同年の3回シェル美術賞展で第一席を受賞する。同36年2回パリ青年ビエンナーレ展に出品、同年のいとう画廊での個展ではじめて「無限空間」シリーズの作品を発表する。その後わが国におけるライト・アートの先駆をなした「負の球」シリーズ、さらに「同時に存在する」シリーズを展開、この間、個展の他、5回現代日本美術展(同37年)、15回読売アンデパンダン展(同38年)、現代美術の動向展(同39、42年)、現代美術の新世代展(同41)などに出品し、石膏や土管による無限空間作品やオブジェを発表する。また、同39年の秋山画廊での個展では、家庭用土管を一週間展示した。同44年、国際サイテック・アート展「エレクトロマジカ」を山口勝弘らと開催、翌45年には大阪万国博覧会テーマ館の企画、デザインに参加した。同47年スペースデザイン事務所サムシンクを設立、環境・空間デザインを本格的に手がける。同53年、商空間デザイン賞特別賞を受賞。同59年、作品集『無限空間-The Infinite』を刊行する。没後、同60年に渋谷区立松涛美術館で伊藤隆康展が開催された。

出 典:『日本美術年鑑』昭和61年版(248頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「伊藤隆康」『日本美術年鑑』昭和61年版(248頁)
例)「伊藤隆康 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10193.html(閲覧日 2024-04-20)

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