穂束信勝

没年月日:1981/02/09
分野:, (歌舞伎絵)

歌舞伎絵作家の穂束信勝は、2月9日午後5時50分・気管支肺炎のため大阪市の自宅で死去した。享年74。1907(明治40)年6月26日松山市に生まれ、16歳の時大阪に出て劇画の石川観風に師事した。23歳で独立し、以後、戦前は浪花座や中座(大阪)の絵看板を描く。戦後、50(昭和25)年の南座(京都)顔見世興行より歌舞伎絵も描くようになり、歌舞伎座、中座、南座、御園座(名古屋)などの歌舞伎絵看板を描いた。また新派や新国劇、新喜劇などの絵看板も制作し、関西の芝居劇場の絵看板を一手に引受けた絵看板の第一人者だった。代表的作品は、前述の京都・南座顔見世看板ほか。

出 典:『日本美術年鑑』昭和57年版(270頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「穂束信勝」『日本美術年鑑』昭和57年版(270頁)
例)「穂束信勝 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10191.html(閲覧日 2024-04-26)
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