生沢朗

没年月日:1984/11/22
分野:, , (洋,挿)

 洋画家で挿絵画家として著名な生沢朗は、11月22日心筋こうそくのため東京都目黒区の東邦医大付属大橋病院で死去した。享年78。本名正一。明治39(1906)年9月12日兵庫県に生まれる。昭和3年日本美術学校を卒業後、台湾で壁画の模写に従事したのち報知新聞社に入社し、政治漫画を執筆する側ら帝展へ出品。同11年には第23回二科展に「ラグビー」が入選する。戦後は、同21年行動美術協会結成に際し会友となり、同23年第3回展に「埠頭付近」「河畔」他を出品し会員に推挙された。行動展への出品作には「競馬場風景A」(4回)、「鳩を囲む裸婦」(9回)などがあり、フォーヴィスム的な作風を示した。一方、同26年の「週間朝日」「月刊読売」に表紙絵を描くなど挿絵画家としても活躍し、同33年行動美術協会退会後は新聞、雑誌等の挿絵に腕をふるった。同44年立原正秋『冬の旅』(読売新聞)、同45年大岡昇平『愛について』(毎日新聞)をはじめ、井上靖『氷壁』『化石』『星と祭』(朝日新聞)など新聞連載小説の挿絵を担当、都会的でかつ陰影にとむ独特の持ち味で一躍流行児となった。同46年には井上靖らとシルクロード、ヒマラヤを訪れ、そのスケッチを中心に『生沢朗画集-ヒマラヤ&シルクロード』を同48年に刊行した。スポーツマンとしても知られ、晩年は水墨画に親しんでいたという。『氷壁画集』(同32年)、『生沢朗さし絵集』(同49年)などがある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和60年版(257頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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