谷内六郎

没年月日:1981/01/23
分野:, (洋)

子供を主人公とし、郷愁をさそう独特の画風で親しまれた童画家谷内六郎は、1月23日午前7時30分、心不全のため東京都世田谷区の自宅で死去した。享年59。1921(大正10)年12月2日東京・恵比寿に生まれ、6、7歳の頃から喘息に悩まされて病床で過ごすことが多かった。早くから絵が得意で、35(昭和10)年小学校を卒業後、町工場や雑誌社で見習いをしながら漫画やカット等を投稿、16歳の時に報知新聞に半ページの漫画を発表した。しかし持病のため勤めを転々とし、38年には千葉県御宿で転地療養生活を送ったが、ここでの漁港や海辺のスケッチが後年の作品の素地となった。独特の画風で既に一部の人には知られていた彼の童画が注目されるようになったのは、55年3月の文芸春秋漫画読本に「行ってしまった子」10点を発表し、第1回文芸春秋漫画賞を受賞してからである。同年『谷内六郎画集』(文芸春秋新社)を刊行し、翌56年、週刊誌ブームのきっかけをつくった「週間新潮」が発刊されると、その表紙絵を創刊号から担当、彼の絵は広く知られるようになり、子供を主人公にほのぼのとした叙情的な絵は、深く人々の心を捉えた。没するまで25年間一号も欠かさず描き続けた同誌の表紙絵は、1289号に達し、既に描き終えて没後発表されたものも含めると1303号の多きにのぼった。また彼自身虚弱な幼児期を送った体験から、福祉活動や障害児に対して終始温かい眼を持ち続け、「ねむの木学園」(静岡県浜松町)では77年から子供たちの絵の指導を続けていた。一方、幼児期の郷愁に根ざした作詞や随筆でもすぐれた作品を残し、芸術祭作詩賞を受賞している。56年に初の個展(東京・大丸)を開催し75年にはヨーロッパをスケッチ旅行、また児童出版美術連盟、漫画家協会の会員として、児童画展の開催などにも力を注いだが、その活動は一貫してヒューマニズムに支えられていた。画集・著作に『谷内六郎画集』(文芸春秋新社)『谷内六郎随筆』(修道社)『染色工芸』(主婦の友社)『幼な心の歌』『遠い日の絵本』『ねむの木』『旅の絵本』などがある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和57年版(269-270頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「谷内六郎」『日本美術年鑑』昭和57年版(269-270頁)
例)「谷内六郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10163.html(閲覧日 2024-04-19)

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