御正伸

没年月日:1981/04/13
分野:, (洋)

三軌会代表、洋画家で挿絵でも活躍した御正伸は、4月13日心筋コウソクのため東京都西日暮里の関川総合病院で死去した。享年66。1914(大正3)年12月10日、東京・日本橋に商家の長男として生まれ、31(昭和6)年東京市立京橋商業学校を卒業した。37年から川端画学校、鈴木千久馬絵画研究所に学び、39年劇団「青陽会」を結成、美術監修、舞台装置にもあたり、翌年は築地小劇場での『じゃがたらお春』の舞台装置を担当する。戦後、47年の第33回光風会展に「厨房にて」が初入選、53年光風展会友、57年同会員となる。また、50年第6回日展に「裸婦」が初入選、70年まで同展にも出品する。一方、52年日本経済新聞連載の中山義秀作『朝雲暮雲』の挿絵を担当、以後、富田常作『真昼の人』(54年、東京新聞)、柴田錬三郎『剣は知っていた』(55年、東京新聞)、石坂洋次郎『陽のあたる坂道』(57年、読売新聞)、円地文子『愛情の系譜』(60年、朝日新聞)、舟橋聖一『寝顔』(62年、読売新聞)等、毎年新聞連載小説の挿絵を描き、66年講談社挿画賞を受賞、挿絵画の第一人者となった。その後の挿絵には、舟橋聖一『太閤秀吉』(70年、読売新聞)、有吉佐和子『複合汚染』(74年、朝日新聞)等がある。71年に光風会を退会し、翌年三軌会の会員となり第24回展に「庭」を出品、74年第26回三軌会展出品作「太宰府抄」で文部大臣奨励賞を受け、77年からは三軌会代表となった。子供の頃から芝居に親しんだこともあり、早くから古典舞踊、歌舞伎に深い関心を寄せ、それらを題材にした作品が多く、53年頃からは本格的に歌舞伎の連作に入った。80年に日動サロンで「御正伸展」(6月5日-12日)を開催。三軌会展への出品作に、「連獅子抄」(25回)、「安宅」(28回)、「散華」(29回)、「白鷺抄(A)」「同(B)」(30回)、「道成寺抄」(32回)などがある

出 典:『日本美術年鑑』昭和57年版(272-273頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「御正伸」『日本美術年鑑』昭和57年版(272-273頁)
例)「御正伸 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10161.html(閲覧日 2024-04-19)

外部サイトを探す
to page top