田中阿喜良

没年月日:1982/06/10
分野:, (洋)

行動美術協会会員、サロン・ドートンヌ会員の洋画家田中阿喜良は、心筋こうそくのため、6月10日パリの病院で死去した。享年63。本名中島阿喜良。1918(大正7)年8月20日大阪府枚岡市に生まれ、37年大阪府立高津中学校を卒業。38年姫路高等学校に入学するが、40年同校を中退し京都高等工芸学校図案科に入学、43年同校を卒業する。画家を志しながら応召し、3年間のブランクを経た後、47年第2回行動美術展に「庭」を初出品する。55年同展に「棺」「枷」「母子」を出品し、同会会員となる。垂直線、水平線を強調した構図、簡略化した形体把握、輪郭線の使用、色の限定など、この時期の作品には、渡仏後完成され、「土のついたジャガイモのようだ」と評された田中の作風に通ずる点が既に見られる。56年神奈川県立近代美術館で開かれた「今日の新人展」に招待出品、翌57年同館主催のシェル美術賞展に「杭」「父子」を出品し一等賞を得る。また、同年の行動展出品作「層」は行動美術賞を受け、いわゆる戦中派世代の旗手と目される。58年春、戦後再開された外国美術紹介が活発となったこと等に触発され、渡仏。59年、サロン・ドートンヌに出品するとともに、グラン・エ・ジューヌ・オージュルディ展に招待出品する。また、同年フランス・ビルヌーブ1等賞を受賞。60年モナコ国際展絵画部グランプリ、仏国ポンタヴァン賞を受賞、61年サロン・ドートンヌ会員となる。荒目カンバスとビニール系の水性塗料を用いた素朴なマチエルを持つ白い下地に、パリの庶民を描き出す独特の作風は63年頃に定着をみる。62年、パリ・ジャン・カステル画廊と契約、翌年エルベ画廊と契約する。日本においては、朝日国際具象展、同秀作美術展、毎日現代美術展、同国際美術展に招待出品する他、67、69、71年には東京、名古屋で個展を開いている。75年には神奈川県立近代美術館で「田中阿喜良展」が開催される。
行動展出品目録
1947 第2回 「庭の朝」
1948 第3回 「戸口にて」
1949 第4回 「静物」
1950 第5回 「裸婦」
1953 第8回 「浜」
1955 第10回 「棺」「枷」「母子」
1956 第11回 「トロイの馬」「ふだ」
1957 第12回 「層」
1958 第13回 「寓話」「すきま」
1963 第18回 「カルタ」「露天商人」「馬鈴薯を売る人」
1967 第22回 「市場」「語り」
1968 第23回 「闘牛を見る人」
1970 第25回 「アプレミディ」
1972 第27回 「マッソン」
1977 第32回 「魚」
1978 第33回 「ろば」
1979 第34回 「メトロのプラットホーム」
1980 第35回 「壷」「手」
1981 第36回 「トルッフを売る」

出 典:『日本美術年鑑』昭和58年版(274-275頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「田中阿喜良」『日本美術年鑑』昭和58年版(274-275頁)
例)「田中阿喜良 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10136.html(閲覧日 2024-04-26)

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