藤川栄子

没年月日:1983/11/28
分野:, (洋)

女流洋画家の長老で二科会理事の藤川栄子は、11月28日午後2時2分、直腸ガンのため東京都港区の前田外科病院で死去した。享年83。明治33(1900)年10月25日、香川県高松市に生まれる。旧姓坪井。香川県立高松高等女学校を卒業し奈良女子高等師範学校文科に入るが大正9年中退。同12年早稲田大学文学部聴講生3年を修了する。同年二科会彫刻部の指導的存在にあった藤川勇造と結婚、藤川に絵を学ぶ。昭和2年第14回二科展に「サボのある静物」で初入選。以後同展に出品を続け、同11年第23回展では「三人の裸女」で特待賞をうけ同13年同会友、同22年同会員となる。同33年第43回展では「野」「のび」で、同35年第45回展では扇面流しを抽象的、現代的にとらえ直した「ちらす」「かける」で会員努力賞をうける。同45年第55回展では「紫の箱」で青児賞、同57年第67回展では画中に2枚の静物画を描いた「静物(未完)」で内閣総理大臣賞を受けた。また昭和のはじめには1930年協会展にも出品し同5年に1930年賞を受賞。同22年には三岸節子らと女流画家協会を創立している。サロン・ドートンヌ、サロン・コンパレゾンにも出品。戦前は裸婦を多く描き堅実な写実に定評があったが、次第に対象を幾何学的形体に分割してとらえるようになり、一時は抽象へと傾斜した。晩年は再び具象にもどり、酒脱な構図・色彩をみせた。

出 典:『日本美術年鑑』昭和59年版(321頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

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例)「藤川栄子」『日本美術年鑑』昭和59年版(321頁)
例)「藤川栄子 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10115.html(閲覧日 2024-04-18)

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