竹谷富士雄

没年月日:1984/05/05
分野:, (洋)

 新制作協会会員の洋画家竹谷富士雄は、5月5日午後7時20分、大腸ガンのため東京都文京区の順天堂大学付属順天堂病院で死去した。享年76。明治40(1907)年12月13日新潟県中蒲原郡に生まれる。大正14年上京し、一時太平洋美術研究所で学ぶ。翌15年法政大学経済学部に入学、昭和6年卒業し、翌7年渡欧する。ベルリンに半年滞在した後翌8年パリに移り、シャルル・ブラン研究所、後半林武のアトリエに通う。10年帰国し、11年第23回二科展に「姉妹」が初入選、この年藤田嗣治に師事する。12年第24回二科展で「夏」が特待賞、15年第27回二科展「壷つくりの女」は佐分賞を受賞し会友に推挙された。しかし16年師藤田の二科会退会に従い同じく二科を退会、新制作派協会に転じ、17年第7回展「休む男」等3点、18年第8回展「働く男」が共に新作家賞を受賞、早くも会員に推挙される。戦後も新制作展に連年出品するほか、美術団体連合展、秀作美術展、現代日本美術展、日本国際美術展、ピッツバーグ国際美術展(42年)、国際具象派美術展、国際形象展などに出品した。36年フランスに渡り、イタリアを回って翌年帰国、同年の第26回新制作展に「坂のある町(シャトル)」などを出品する。41年第5回国際形象展で愛知県美術館賞を受賞、44年再び渡仏し51年帰国するまでパリにアトリエを構えた。昭和15年の第1回個展以来、パリなどでも個展を開催、44年新潟県美術博物館で竹谷富士雄小野末富岡惣一郎による県人三人展が開催された。フランスの街景や田園風景をモチーフに好み、穏やかで繊細な色調と油彩の重厚さを押えたパステル調の叙情的な作風で知られた。また大仏次郎、瀬戸内晴美、丹羽文雄らの連載小説の挿絵も手がけている。

出 典:『日本美術年鑑』昭和60年版(248-249頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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