山本不二夫

没年月日:1984/11/02
分野:, (洋)

二科会理事、日本水彩画会理事の洋画家山本不二夫は、11月2日午前0時10分、脳血栓のため、千葉県八千代市の新八千代病院で死去した。享年79。明治38(1905)年2月1日、千葉県佐原に生まれる。千葉県立佐原中学校を経て、大正15(1926)年東京商科大学(現一橋大学)専門部を卒業後、昭和7年まで旅館、運送業を自営する。のち、同13年まで内務省土木部に務め、大戦中は海軍省の嘱託となる。この間、同9年に二科展、日本水彩展に初入選。以後同展への出品を続け、同14年日本水彩展に「佐原風景」「高楼聴蝉」を出品してキング賞を受賞、同16年同会会員、および二科会会友となる。戦後、本格的に制作に専念し、再編された同二団体に参加。同25年、再編後の新制度下の二科展で再び会友に推挙され、同30年同会会員となる。同36年、フランスのサロン・コンパレゾンと二科展の交流のため渡欧し、5カ月間美術品を視察。同38年二科展に「樹から生れた女」「ねんりん」を出品して会員努力賞を受け、同40年二科会50周年記念展では「あしたの女達」で総理大臣賞を受賞、同44年の同展には「山の湖で」を出品し青児賞を受ける。同45年ポルトガル、モロッコ及びヨーロッパを訪れる。水平線、垂直線を基調とする構図に女性の単身像あるいは群像を配し、抒情的作風を示した。二科展出品歴-21回(昭和9年)「佐原風景」、22回(同10年)「水辺(水彩)」、23回「監督船就航」、24回「佐原河港」、25回「総領息子」、26回「静か」、27回(同15年)「外堀線」「美しき佐原河港」、28回「陽気な女車掌」「佐原の跳橋」、29回「元気なエンヂさん」、31回(同21年)「夕陽の佐原」「十六島の娘」、32回「R夫人像」、34回「横臥裸婦」「帳りの中の裸婦」「二人のニンフ」、35回(同25年)「いこひ」、36回「森」「花と裸女」、37回「花をくわえた女」「二人」、38回「暗い海岸」「目覚めたる女」、39回「崩れゆく夢」、40回(同30年)「野のなやみ」「断想」「山のいのち」、41回「麦愁」「青い気圧」「岩の芽」、42回「静かなる谷間」「鳥と語れば」、43回「腰かける裸婦」「二人の裸婦」「立てる裸婦」、44回「朝粧」「花をもてる妖女達」「花にくちづけす」、45回(同35年)「土麗都」「楼夢」、46回「積寥」「組寂」、47回「黒い気流」、48回「樹から生れた女」「ねんりん」、49回「樹層」「巌の華」、50回(同40年)「あしたの女達」、51回「あじさいの咲く頃」、52回「三人の舞妓」、53回「霧は流れる」、54回「山の湖で」、55回(同45年)「あるつどい」、56回「赫い道」、57回「残雪の消える頃」、58回「猫を飼ふ女」、59回「髪」、60回(同50年)「梳づる女」、61回「鳥と戯れる」、62回「海の見える丘」、63回「紫陽花を愛す」、64回「月光のある部屋」、65回(同55年)「めざめ」、66回「集り」、67回「静かなる」、68回「砂の床」、69回「花をかざす」

出 典:『日本美術年鑑』昭和60年版(256-257頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「山本不二夫」『日本美術年鑑』昭和60年版(256-257頁)
例)「山本不二夫 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10100.html(閲覧日 2024-04-19)

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