鈴木亜夫

没年月日:1984/12/07
分野:, (洋)

 小島善太郎の死後、独立美術協会創立会員の最後の一人となった鈴木亜夫は、12月7日午前7時30分、老衰のため、東京都調布の自宅で死去した。享年90。明治27(1894)年3月26日、工学博士鈴木幾弥太の次男として大阪に生まれる。同45年、東京の芝中学に入学、葵橋洋画研究所に学び東京美術学校西洋画科に入る。同校在学中の大正5(1916)年第3回二科展に「ターンテーブル」で初入選。以後、同会に出品を続ける。同10年、東美校を卒業し、同研究科に進み、藤島武二に師事する。万鉄五郎を中心とする円鳥会、および中央美術展に参加し、「葡萄と女」で中央美術賞を受賞する。昭和4(1929)年、一九三〇年協会に参加。同5年、里見勝蔵らの同志と独立美術協会を創立。フォービスム的色彩と自由な筆使いをとり入れつつ、日本的油絵を追求する。同19年、陸軍省の依嘱によりビルマに赴き記録画「ラングーンの防空とビルマ人の協力」を制作。戦後も独立美術協会に出品。同41年渡欧し翌年日動画廊で個展を開いてその成果を発表する。同57年には銀座、ギャラリーミキモトで米寿記念回顧展を開く。風景、静物のほか、人物をモチーフにとり入れた象徴的作品などを描き、詩情ある画風を築いた。
 二科展出品歴 第3回(大正5年)「ターンテーブル」、4~6回出品せず、7回「花篭」、8回(同10年)出品せず、9回「赤日傘の女」「肩を拭く女」、10回「静物」、11回「花と少女」「風車のある丘」、12回出品せず、13回(同15年)「黒い船」「裸婦立像」「裸婦臥像」「硝子戸の中の少女」「花を生ける女」、14回(昭和2年)「樹蔭読書」「裸婦座像」「夏」「碇泊」、15回「バルコン」「編物するM子」、16回「露臺母子」「樹蔭午睡」「日傘さす婦人」「読書する少女」「グロキシニヤ」「龍洞院の百日紅」、17回(同5年)「母性」「池畔緑陰」「支那服の少女」「蕃布を配せる静物」「Y楽長補の像」
 独立展出品歴 第1回(昭和6年)「鴨」「ヴァリエテ」「サーカスの娘達」「卓上静物」「女の顔」、2回「巌」「子供の顔」「二人の曲芸師」「少年と軍楽手」「女の顔」「渓流」「テレジーナの踊り」「伊豆下田風景」「オランダ人形」、3回「白馬」「牛に騎る女」「夏の少女」「舗道」「雨」「豹」「馬ト野獣」、4回「裸婦立像」「薔薇」「狩獵」「幼年像」「月と白馬」「薔薇」「人形を造る」、5回(同10年)「撮影」「馬と噴火口」「牡丹」、6回「猿と踊り子」「牡丹」「麦秋」「乗馬」「人形」、7回「草上画作」「競馬」「樵夫」、8回「TUBA」「丘の上」「桜」、9回「闘ひの譜」、10回(同15年)「渚」、11回「山湖秋色」「海濱の午後」「駒ケ岳新雪」「峠路」、12回「穂高初秋」「二人のアンコ」「朝岳」「上高地初秋」、15回(同22年)「海のアンダンテ」、16回「街の楽団」、18回(同25年)「お茶時」「裸婦習作」、20回「廃船」「志賀島風景」、21回「老婦人像」「手風琴」「化粧」、22回「室内婦人」「日傘」、23回(同30年)「朝顔A」「芋」「朝顔B」、24回「水をやる」「ばらの花」、25回「夏の午後」「夏の日」、26回「赤い牛舎」「ミサイル」「猩々の舞い」、27回「北海山湖(摩周湖)」「アイヌの長老」「地球岬」、28回(同35年)「廃船」「船のある静物」「船のある静物(桜島)」、29回「土器」「土偶」、31回「無人灯台」「人魚のいる風景」、32回「湖騒の村」「獅子」、33回(同40年)「能登の寒冷前線」「静物」、34回「メニール・モンタンの坂道」「巴里の壁」、35回「トレドの驢馬」「籘椅子に寄る」、36回「マルケン島の女」「石の馬(無力の抵抗)」、37回「槍」「新聞を読む人」、38回(同45年)「妖雲」「巴里の花屋」、39回「シャルトルへ行く」「実りの行進」、40回「暁雲白馬」「みどりの庭」、41回「亜夫山荘遠望(会津芦の牧温泉)」「ムウムウの満里子」、43回(同50年)「石狩川赤陽」「楽譜持てる少年」、44回「風紋」「室内」、45回「あじさい」「牡丹」、46回「桜島赤照」「薔薇図」、47回「五島大瀬崎の灯台」「砂丘」、48回(同55年)「紫陽花」、「葡萄実る頃」、49回「紫陽花の庭」「紫陽花」、50回「葡萄の秋」、51回「椅子に依るK夫人」、52回「甲斐駒ケ岳」

出 典:『日本美術年鑑』昭和60年版(258-259頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「鈴木亜夫」が含まれます。
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