有元利夫

没年月日:1985/02/24
分野:, (洋)

無所属の洋画家で安井賞受賞作家有元利夫は、2月24日肝がんのため東京都文京区の日本医科大学病院で死去した。享年38。将来を大いに嘱望されながら38歳の若さで急逝した有元は、昭和21(1946)年9月23日疎開先の岡山県津山市に生まれたが、生後間もなく一家が東京都台東区の実家へ戻ったため、以後没年までのほとんどを谷中で生活した。小学校低学年の頃からゴッホに強い興味を抱いたとされ、都立駒込高等学校在学中同校で教えていた中林忠良の指導を受け東京芸術大学進学を決意する。同44年東京芸術大学美術学部デザイン科に入学、在学中の同46年ヨーロッパを旅行し、とくにイタリアでフレスコ画に接して深い感銘を受けた。この体験は帰国後、日本の古画、仏画へと目を向けさせることにもなり、また、フレスコ画と同質の質感をもとめて岩絵具を用い始めることにもなった。同48年芸大を卒業、卒業制作「私にとってのピエロ・デラ・フランチェスカ」は芸大買上げとなった。同年電通に入社しデザインの仕事に携わる側ら制作し、翌年にはみゆき画廊で二人展、同50年には同画廊で個展を開催した。翌51年大阪フォルム画廊東京店で「有元利夫展-バロック音楽によせて-」を開催、同年電通を退社し東京芸術大学非常勤講師をつとめながら画業に専念するに至った。美術団体に所属せず、明日への具象展、具象現代展等に出品したが、同55年からは彌生画廊での個展で専ら制作発表した。この間、同53年21回安井賞展に「花降る日」「古典」を出品し、この年のみの特別賞となった安井賞選考委員会賞を受賞し注目され、同56年には安井賞展に出品した「室内楽」「厳格なカノン」の前者の作品で第24回安井賞を受賞した。同58年2回美術文化振興協会賞受賞。版画、彫刻、陶芸にも独自の才能を発揮し、同53年最初の銅版画集『7つの音楽』を刊行したのをはじめ、『一千一秒物語』(同59年)に至るまで幾つかの銅版画集を出した。また、バロック音楽を愛し、自らもリコーダを吹いた。岩絵具、箔、金泥などを用いた独特の油彩技法と、素朴な画情をたたえた作風は、洋画界に新領域を拓くものとして期待されていた。画文集に『有元利夫 女神たち』(同56年)、『もうひとつの空』(同61年)がある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和61年版(248頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「有元利夫」『日本美術年鑑』昭和61年版(248頁)
例)「有元利夫 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10095.html(閲覧日 2024-04-20)

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