阪本文男

没年月日:1986/02/26
分野:, (洋)

モダンアート協会会員の洋画家阪本文男は、2月26日午後零時5分、肺ガンのため川崎市の市立川崎病院で死去した。享年51。昭和10(1935)年2月14日、東京都港区に生まれる。19年に新潟県柏崎市に疎開し、同28年柏崎高校を卒業するまで居住。高校在学中絵画部に入り油絵を始め、同校で教鞭をとっていた国領經郎に学ぶ。29年東京芸術大学油画科に入学し、小磯良平教室に学んで33年卒業。34年第9回モダンアート協会展に「記号」で初入選。36年同会会友、38年会員となる。初期から抽象画を描いたが、この頃より人体の一部が幾何学的にモティーフの中に組みこまれる「ヘルマフロディトス」の連作を始め、42年国際青年美術家展に「ヘルマフロディトス-青い帯」を出品してストラレム優秀賞第一席を受賞。43年より安井賞展、現代日本美術展にも出品する。45年頃より水色を背景とし、紙のしわや乾いた花・果物、剥製の鳥などをモティーフとする独自の画風を展開。「アリスの遊び」「バラの座」などのシリーズを制作、発表する。58年、代表作となった「余白の系」を制作するが、59年に肺ガンで入院して以後入退院をくりかえしていた。枯れゆくものの中に存在の本質の顕在化を見出し、明快で乾いた幻想的作風を示した。没後の63年4月横浜市民ギャラリーで「阪本文男回顧展」が開催された。

出 典:『日本美術年鑑』昭和62・63年版(316-317頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「阪本文男」『日本美術年鑑』昭和62・63年版(316-317頁)
例)「阪本文男 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10081.html(閲覧日 2024-04-19)

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