原精一

没年月日:1986/05/03
分野:, (洋)

 裸婦の作家として知られた洋画家原精一は、5月3日午後6時57分、急性肺炎のため東京都世田谷区の関東中央病院で死去した。享年78。明治41(1908)年2月27日、神奈川県藤沢市の遊行寺・真浄院住職の長男として生まれる。大正12(1923)年6月、藤沢の藤嶺中学校(現・藤沢高校)在学中に第1回円鳥会を見、萬鉄五郎の作品に感嘆して間もなく萬に師事するようになる。同年川端画学校にも通う。翌13年第3回円鳥会に「風景、水彩」を初出品。昭和元(1926)年藤嶺中学を卒業。同年より中学の先輩である鳥海青児に絵を学び、同年新設された国画創作協会洋画部に「四月風景、水彩」で初入選。同2年には第5回春陽会に「冬田」で初入選し以後同会に出品を続ける。同11年第14回同展に「シュミーズの女」など13点を出品して春陽会賞受賞。翌12年同会会友に推される。同年応召し、翌13年「戦場スケッチ」により第2回佐分賞受賞。同17年中国より帰還し、第20回春陽会展に「胡弓」など9点を出品して同会会員に推される。同18年再び応召し21年タイでの抑留生活を終えて帰国する。同23年国画会に推薦会員として入会。以後、国画会展、現代日本美術茨、日本国際美術展などに出品。同42年国画会を退会。47年、38年の第2回展より出品していた国際形象展の同人となる。この間、同32年4月より翌年10月までの渡欧を皮切りに40年、45年と渡欧を重ねその後もヨーロッパ、東南アジア等へ旅する。50年には女子美術大学教授に就任し、美術教育にもたずさわった。一貫して裸婦を描き、女体の力動感を描き出そうとした。素速く適確なデッサンには定評があり、『原精一デッサン集』(40年、美術出版社)、『原精一素描集』(54年)、『原精一画集』(58年、日動出版)が刊行されている。

出 典:『日本美術年鑑』昭和62・63年版(319頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「原精一」が含まれます。
to page top