荻須高徳

没年月日:1986/10/14
分野:, (洋)

 パリ在住の洋画家荻須高徳は、10月14日午前2時(日本時間同10時)パリ市18区の自宅近くのアトリアで制作中死去した。享年84。戦前・戦後を通じ半世紀以上フランスに滞在し、パリの古い街並などを描き続け、フランスで最もよく知られた日本人画家の一人であった荻須は、明治34(1901)年11月30日愛知県中島郡に生まれた。愛知県第三中学校を卒業し、大正9年画家を志して上京、川端画学校で藤島武二の指導を受け、翌10年東京美術学校西洋画科に入学した。同期に小磯良平牛島憲之猪熊弦一郎山口長男岡田謙三らがいた。卒業の年の同15年、フランスから帰国中の佐伯祐三を山口長男と訪ね、佐伯に鼓舞されてフランス留学を決意し、同年山口とともに渡仏した。パリでは佐伯の側らで制作を進め、当初は画風の上で佐伯の強い影響を受けて出発した。しかし、昭和2年佐伯没後は、ユトリロの作品に強くひかれる。翌3年からはサロン・ドートンヌ、サロン・デ・ザルティスト・アンデパンダンに出品を続け、同11年サロン・ドートンヌ会員となる。この間、同6年にパリのカティア・グラノワ画廊で個展を開催したのをはじめ、以後ジュネーヴ、ミラノなどでも個展を開いた。また、同11年作の「プラス・サンタンドレ」がフランス政府買上げとなり、翌12年のサロン・ドートンヌ出品作「街角」がパリ市買上げとなった。同14年第2次世界大戦勃発にともない翌年帰国し、新制作派協会会員に迎えられ、同年の第5回同協会展に滞欧作が特別陳列された。同17年には陸軍省嘱託として仏領インドシナなどに派遣される。同23年、日本人画家としては戦後はじめてフランスへ渡り、以後パリを中心に制作活動を展開、同26年、サロン・ド・メに招待出品したのをはじめ、サロン・ド・テュイルリやヨーロッパ各地での個展で制作発表を行う。パリの街角を独自の明快で骨太な筆触で描き続けた作品は、広くパリ市民にも愛された。同31年、フランス政府からシュヴァリエ・ド・レジオン・ドヌール勲章を受章、同49年にはパリ市からメダイユ・ド・ヴェルメイユを受けた。同54年、パリ市主催でパリ在住50年記念回顧展が開催される。また、松方コレクションの日本返還やゴッホ展日本開催に協力するなど、日仏文化交流にも尽した。一方、日本では同29年第5回毎日美術賞特別賞を受賞、同30年に神奈川県立近代美術館、翌年ブリヂストン美術館でそれぞれ回顧展が開催され、同37年には国際形象派結成に同人として参加した。また、同40年、17年ぶりに一時帰国した。同55年、東京新聞紙上に連載したパリ生活の回想をもとに『私のパリ、パリの私』を刊行、中日文化賞を受けた。翌56年、文化功労者に選任される。同58年、郷里の稲沢市に稲沢市荻須記念美術館が開館した。戦後の作品に「サン・マルタンの裏町、パリ」(同25年)、「路に面した家・パリ」(同30年)などがある。葬儀は10月17日モンマルトル墓地で執行され、画家のジャン・カルズー、アイスビリー、カシニョル、ワイスバッシュ、シャプランミディをはじめ、本野盛幸駐仏大使ら在パリ日本人会など三百人余が参列した。また、没後日本政府から文化勲章が追贈された。

出 典:『日本美術年鑑』昭和62・63年版(323頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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