小山敬三

没年月日:1987/02/07
分野:, (洋)

 一水会創立会員、日本芸術院会員、文化勲章受章者の洋画家小山敬三は2月7日午後10時34分、心不全のため神奈川県平塚市の杏雲堂平塚病院で死去した。享年89。明治30(1897)年8月11日長野県小諸市の旧家に生まれる。大正4年旧制上田中学校を卒業。慶応大学予科に入学するが画家を志して中退。川端画学校に通い藤島武二に学ぶ。同7年第5回二科展に「卓上草花図」などで初入選する。父の友人であった島崎藤村の勧めで同9年渡仏しシャルル・ゲランに師事。同11年サロン・ドートンヌに初入選する。同12年春陽会客員、翌13年同会会員、同15年サロン・ドートンヌ会員となる。昭和3年に帰国し、翌4年第7回春陽会展に滞欧作を特別陳列する。同8年春陽会を退会して二科会員となるが、11年には同会をも退き安井曽太郎らと一水会を創立。同12年再渡仏。1年ほど滞在した後、第二次大戦の激化のため帰国する。戦後は一水会、日展に出品し、34年に白鷺城をモチーフとする一連の作品によって日本芸術院賞受賞、35年日本芸術員会員および日展理事となる。45年文化功労者として顕彰され、50年度文化勲章を受章する。浅間山を好んで描き「紅浅間」など重厚で高雅な風景画を多く残す。著書に『ゴッホ静物篇』『来し方の記』、訳書にヴォラール著『画商の想出』がある。47年に郷里小諸に美術館を建て小諸市に寄贈する。また、油彩画の技法、修復技術の研究の必要を認識し、最晩年に私財を投じて小山敬三美術振興財団を設立し、小山敬三記念賞による油彩画家の表彰、油彩修復技術者の海外派遣を行なうこととするなど洋画の発展に寄与するところが大きかった。

出 典:『日本美術年鑑』昭和62・63年版(328頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「小山敬三」が含まれます。
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