福田新生

没年月日:1988/01/09
分野:, (洋)

一水会委員、日展参与の洋画家福田新生は、1月9日午後4時45分、自然気胸のため東京都八王子市の陵北病院で死去した。享年82。明治38(1905)年3月3日、福岡県小倉市に生まれる。大正11(1922)年福岡県豊津中学校を卒業。13年第11回光風会展に初出品し、14年第12回同展に「洗足の丘」「白き温室の見える風景」を出品して光風賞受賞、15年同展に「静物」「帽子のある静物」を出品して再び光風賞を受け、翌昭和2(1927)年にも同賞を受賞する。この間の大正15年川端画学校修了。同年第7回帝展に「静物」で初入選。また、同年より槐樹社に出品する。昭和4年槐樹社の解散により旺玄社の会員となるが9年に退会。15年より一水会展に出品を始め同年の第3回展に「日向葵」「喇嘛廟」を出品して岡田賞受賞。21年同会会員となり、25年第12回展に「哀しい平和」「巷の女たち」を出品して会員佳作賞、27年にも「鉄骨作業」「白い建物」で同賞を受け同年一水会委員に推される。また、23年には第4回日展に「戦おわる」を出品して特選となる。30年渡欧し翌年帰国。日展審査員をたびたびつとめ、35年日展会員となる。45年第2回改組日展に「土蔵の前で」を出品して内閣総理大臣賞受賞。55年日展参与となる。農漁村で労働する人々を好んで描き、生活の力強さを画面に表した。著書も多く、『北満のカザック』『拓け行く満州』『人民の日本美術史』『美術と思想の話』『レーピン伝』『抽象美術の解体』『画家の日記』『土に生きる画家たち』などを著している。

帝展、新文展、日展出品歴
大正15(1926)年第7回帝展「静物」、昭和2(1927)年(8回)「支那壷のある静物」、3年(9回)「酒場」、4年(10回)不出品、5年(11回)「渓流」、6~13年不出品、14年第3回新文展「カザックの娘」、16年(4回)「北満の農夫たち」、17年不出品、18年(6回)「牧草刈り」、21年第1回日展不出品、同年(2回)「男体山を望む」、22年不出品、23年(4回)「戦おわる」(特選)、24年(5回)「小春日」、25年(6回)「復興させ給え」、26年(7回)「冬濤ひびく」、27年(8回)「新宿零時」、28年(9回)「職場の娘」、29年(10回)「鵜飼図」、30~32年不出品、33年第1回社団法人日展「北九州風景、小倉」、34年(2回)「英彦山」、35年(3回)「コロンボの少年たち」、36年(4回)「足摺岬の朝焼」、37年(5回)「ヴェトナムの農夫」、38年(6回)「種いも撰り」、39年(7回)「白鷺の藪」、40年(8回)「祈り」、41年(9回)「釜ケ崎のタロー君」、42年(10回)「メコン・デルタ」、43年(11回)「帆曳船の若者(霞ケ浦)」、44年第1回改組日展「山の老人」、45年(2回)「土蔵の前で」、46年(3回)「なまはげ」、47年(4回)「炉ばたの人」、48年(5回)「朝市の女」、49年(6回)「しょいこ(背負い子)」、50年(7回)「老いたる海女」、51年(8回)「馬橇が往く」、52年(9回)「運ぶ女たち」、53年(10回)「漁村にて」、54年(11回)「春耕」、55年(12回)「稲架かけの農婦」、56年(13回)「豚を飼う農婦」、57年(14回)「英彦山・南岳」、58~62年不出品

出 典:『日本美術年鑑』平成元年版(250-251頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「福田新生」『日本美術年鑑』平成元年版(250-251頁)
例)「福田新生 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10061.html(閲覧日 2024-03-28)

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