郭仁植

没年月日:1988/03/03
分野:, (洋)

“モノ派”の先駆的役割を果たした現代作家郭仁植は、3月3日午後8時15分、肺ガンのため東京都板橋区の誠志会病院で死去した。享年68。大正8(1919)年4月18日大韓民国慶尚北道に生まれる。19才の時来日し、昭和16年第11回独立美術協会展に「未完成」が初入選する。戦後26年第36回二科展に「ドリーム」が入選して以後毎回入選、また美術文化協会展にも32年第17回「連作・反逆」などを出品する。同32年新エコール・ド・トーキョー創立に参加するが、34年退会。以後無所属で個展や内外の国際展を活動の場とする。この間、31年第7回読売アンデパンダン展に「進む」「現代」「新しい生」を出品。海外の美術の動向に鋭敏な反応を示していたが、35年頃よりガラスや真鍮、鉄板などを切断したり縫合した独自の作品を探究。素材自体に語らせようとする試みは1970年前後の“モノ派”の先駆的な作品として注目される。40年の第8回日本国際美術展に韓国から招待出品として「作品65-301」「作品65-401」「作品65-402」を出品。44年より和紙を使った作品を制作、和紙にノミをあて円を使った「物と言葉」などを制作する。1970年代末頃からは和紙に彩墨の色斑を施した作品を制作し、「work86-うM」「work86-SK」などを発表、東洋的自然観を現代美術に表現する試みを続けた。44年サンパウロ・ビエンナーレ、51年シドニー・ビエンナーレの代表となり、52年「韓国現代美術の断面」に出品。また版画やガラス、木の立体作品も制作している。59年ギャラリー上田で回顧展が開催された。作品集に58年『郭仁植の世界』などがある。

出 典:『日本美術年鑑』平成元年版(256頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「郭仁植」『日本美術年鑑』平成元年版(256頁)
例)「郭仁植 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10058.html(閲覧日 2024-04-19)
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