鈴木信太郎

没年月日:1989/05/13
分野:, (洋)

 日本芸術院会員で文化功労者の洋画家鈴木信太郎は5月13日午前9時54分、肺炎のため東京都渋谷区の日赤医療センターで死去した。享年93。洋画界の長老であった鈴木は明治28(1895)年8月16日、東京都八王子に生まれた。同43年赤坂溜池の白馬会洋画研究所に入り黒田清輝に師事。大正2(1913)年、八王子の府立織染学校専科に入学し織物図案を学ぶ。のち上京して染織図案家滝沢邦行に師事し本格的な図案家をめざすが、同5年第10回文展に水彩画「静物」で初入選。同10年図案を断念し油絵の制作に専念する。翌11年第9回二科展に「桃と紫陽花」で初入選。この年より石井柏亭に師事。昭和元(1926)年第13回二科展に「静物」「窓辺静物」「花」他を出品して樗牛賞受賞。同3年同会会友となる。同9年第21回二科展に「桃といちぢく」他を出品して推奨となり、同11年同会会員となる。戦後も二科会に参加するが同30年に退会して同会の同志であった野間仁根高岡徳太郎らと一陽会を結成、以後没するまで同会に出品を続けた。同35年日本芸術院賞を受賞、同44年日本芸術院会員となり、63年には文化功労者に選ばれた。絵画学校での正規の習学を踏まず、従来の絵画観にとらわれることなく自由に制作を続け、果物、花、人形などの静物や風景を好んで描いた。線遠近法などを無視して画面の大部分をモチーフで埋め、明澄、豊麗な色彩を特色とした童画風と評される陽気で詩的な作風を示した。美術教育にもたずさわり、昭和25年より40年3月まで武蔵野美術大学教授、同28年より41年3月まで多摩美術大学教授として後進を指導。著書に随筆集『阿蘭陀まんざい』『美術の足音 今は昔』などがある。同57年10月に日本橋・大阪高島屋で、同61年8月にそごう美術館で回顧展的な「鈴木信太郎展」が行なわれ、平成2年5月には同じくそごう美術館で「鈴木信太郎遺作展」が開かれた。

年譜
1895(明治28)年 8月16日、東京都八王子に、生糸業鈴木金蔵、テルの長男として生まれる。
1910(明治43)年 赤坂溜池の白馬会洋画研究所に入所。同研究所で鈴木金平(当時14歳)と親交を結ぶ。鈴木金平を通じ岸田劉生を知る。
1911(明治44)年 銀座三原橋近くに下宿する。鈴木金平の紹介で回覧雑誌「紫紅」に入る。
1912(明治45)年 八王子に帰郷。10月、第1回ヒュウザン会展を見るため上京。
1913(大正2)年 八王子の府立織染学校(現・都立八王子工業高)の専科に入学。織物図案を学ぶ。後再び上京し、染織図案家滝沢邦行のもとで図案を学ぶ。
1916(大正5)年 第10回文展に「静物」が初入選する。
1919(大正8)年 この頃、俳人荻原井泉水の主宰する絵の合評会「砂文字会」に参加。そこで浜田庄司を知る。井泉水の俳人同人誌「層雲」の表紙・挿絵・カット等を描く。浜田庄司の招きで京都を訪ねる。
1921(大正10)年 八王子に帰郷。図案の仕事を断念し、日野の多摩川河畔の善生寺に寄寓、油絵の制作に専念する。
1922(大正11)年 第9回二科展に「桃と紫陽花」が初入選する。以後、石井柏亭に師事する。「1920年社」に参加する。奈良に写生旅行をする。以後しばしば奈良旅行を行うようになる。鍋井克之の知遇を得る。
1923(大正12)年 志賀周と結婚。
1925(大正14)年 鈴木金平の紹介で「中村彝画室倶楽部」に入会する。京都に津田青楓を訪ねる。
第12回二科展に「人形のある静物」他を出品。以後退会まで毎年出品する。
1926(昭和元)年 第13回二科展に「静物」「窓辺静物」「花」他を出品。樗牛賞を受賞する。曽宮一念の知遇を得る。「柘榴社」同人となる。
1927(昭和2)年 第14回二科展に「静物」「八王子車人形」他を出品。
1928(昭和3)年 第15回二科展に「孔雀礼讃」「諏訪湖の夏」他を出品。会友となる。9月3~6日初めての個展として、「鈴木信太郎洋画個人展覧会」(日本橋・三越)を開く。
1929(昭和4)年 第16回二科展「八王子車人形」他を出品。
1930(昭和5)年 八王子より荻窪に転居する。
第17回二科展に「象と見物人」「せとものや」「草上の桃」他を出品。
1931(昭和6)年 第18回二科展に「靴屋」他を出品。
1932(昭和7)年 第19回二科展に「長椅子の女」「松のある村道」を出品。
1933(昭和8)年 この頃より本の装幀、挿絵を手がけるようになる。
第20回二科展に出品。
1934(昭和9)年 3月、長女もゝ代誕生。
第21回二科展に「桃といちぢく」他出品。推奨を受賞する。
1935(昭和10)年 第22回二科展に「南総の海」「夜の静物」「麻雀と人形」他出品。
1936(昭和11)年 第23回二科展に「花と魚貝」「緑の構図」他出品。二科会会員となる。
1937(昭和12)年 第24回二科展に「アトリエ」「青い庭(芭蕉と紫陽花)」他出品。
1938(昭和13)年 第25回二科展に「青い庭(芭蕉と百合)」他出品。
1939(昭和14)年 第26回二科展に「柘榴」他出品。個展(日本橋・高島屋)を開く。
1940(昭和15)年 第27回二科展に「枇杷」他出品。
この頃「鈴木信太郎個人展」(そごう神戸店)
1941(昭和16)年 第28回二科展に「奈良の秋(鷺池の道)」「桃とあぢさい」他を出品。
1942(昭和17)年 第29回二科展に「初夏の山中湖」「奈良の春」他出品。
1943(昭和18)年 第30回二科展に「奈良新春」「奈良の初夏」他出品。
1944(昭和19)年 戦争が激しくなり、西多摩、五日市に疎開。疎開先で林武と知り合う。
1946(昭和21)年 4月、疎開先五日市より荻窪に戻る二科再興に加わる。
第31回二科展「冬の山川」を出品。
1947(昭和22)年 第32回二科展に「秋川風景(小和田橋)」を出品。
1948(昭和23)年 第33回二科展に出品。
1949(昭和24)年 長崎に、被爆し病床にあった永井博士を訪ねる。同氏の新聞連載の随筆「長崎の花」の挿絵を描く。
随筆集『お祭りの太鼓』(朝日新聞社)を出版。
第34回二科展に「長崎の家」「阿蘭陀萬歳」他出品。
1950(昭和25)年 4月、武蔵野美術大学教授就任(1965年3月まで)。
第4回日本国際美術展(主催毎日新聞社)に「港(長崎風景)」を出品。
第35回二科展に「長崎の丘」「天主堂の中」「腰かけた女」他出品。
1951(昭和26)年 荻窪より久我山に転居。
第36回二科展に「人形の図」「長崎大浦天主堂」他出品。
1952(昭和27)年 第37回二科展に「蝶々夫人の家(グラバー邸)」「皿の人形」「菊」「芍薬」を出品。
1953(昭和28)年 3月多摩美術大学教授就任(1966年3月まで)。
国立公園協会から依頼を受け、「厳島」を制作する。
第38回二科展「石のある庭」「カルメンスペイン人形」「春雪」「ガラスの皿のある静物」「宮島風景」出品。
1954(昭和29)年 随筆集『阿蘭陀まんざい』(東峰書房)を出版。
画集『日本現代画家選10、鈴木信太郎』(美術出版社)を出版。
第39回二科展に「武蔵野の一隅」「林檎園」「長崎の丘(天主堂のある風景)」他出品。
1955(昭和30)年 第40回春季二科展に「長崎風景」「花(芍薬)」「雪晴れ」出品。
二科展を退会し、一陽会を野間仁根高岡徳太郎等と結成する。
第1回一陽展に「窓」「海と漁船」他を出品。
1956(昭和31)年 第2回一陽会に「長崎の家」「伊豆の漁村」他を出品。
1957(昭和32)年 第3回一陽展に「夏の樹々」「長崎風景(丘の眺め)」他を出品。
11月「鈴木信太郎先生近作油絵展」(日本橋・三越)
1958(昭和33)年 第4回一陽展に「牧草の窓」「札幌風景(ポプラの池)」他出品。
第1回日展に「札幌風景(北大構内)」を招待出品。
1959(昭和34)年 第5回一陽展に「窓の静物」他出品。
1960(昭和35)年 日本芸術院賞を受賞する。
第6回一陽展に「熱海風景」「伊豆山風景」を出品。
第3回日展に「白樺湖」(東京都美術館蔵)を招待出品。
1961(昭和36)年 6月、「鈴木信太郎スケッチ展」(銀座松屋 主催朝日新聞社)
第7回一陽展に「林檎園」「バスの通る道」を出品する。
11月「鈴木信太郎先生油絵展」(日本橋・三越)
1962(昭和37)年 第8回一陽展に「熱海風景」「静物」「芍薬」を出品。
第5回日展に「白樺湖」(信濃美術館蔵)を招待出品。
第6回現代日本美術展(主催毎日新聞社)に「新緑熱海風景」を出品。
11月「鈴木信太郎油絵展」(日本橋・三越)
1963(昭和38)年 第9回一陽展に「静物」「伊豆漁村」を出品。
1964(昭和39)年 第10回一陽展に「海」「桐の花」を出品。
11月「鈴木信太郎新作長崎油絵展」(日本橋・三越)
1965(昭和40)年 第11回一陽展に「長崎風景(新緑の丘)」他を出品。
11月「鈴木信太郎新作長崎油絵展」(日本橋・三越)
1966(昭和41)年 第12回一陽展に「高原」「田園風景」を出品。
鈴木信太郎個展」(日本橋・三越)
1967(昭和42)年 第13回一陽展に「新緑の山」「燈台のある街」を出品。
鈴木信太郎個展」(日本橋・三越)
1968(昭和43)年 第14回一陽展に「室内」「伊豆伊東風景」を出品。
5月「鈴木信太郎ミニアチュール展」(日本橋・高島屋)
11月「鈴木信太郎個展」(日本橋・三越)
1969(昭和44)年 第15回一陽展に「桃と向日葵」「春の瀬戸内田園風景」を出品。
日本芸術院会員となる。「鈴木信太郎個展」(日本橋・三越)
1970(昭和45)年 第16回一陽展に「室内静物」「人形の国」を出品。
鈴木信太郎個展」(日本橋・三越)
1971(昭和46)年 第17回一陽展に「下田港風景」「壷」を出品。
11月「鈴木信太郎油絵展」(日本橋・三越)
1972(昭和47)年 第18回一陽展に「伊豆伊東風景」「伊豆の海」を出品。
1973(昭和48)年 第19回一陽展に「山の家々」「ペルシャ更紗と万暦赤絵」を出品。
1974(昭和49)年 5月「鈴木信太郎油絵展」(銀座和光)
第20回一陽展に「ばら」「絵箱のある静物」を出品。
1975(昭和50)年 第21回一陽展に「古風な時計」「早春の丘(伊豆)」を出品。
1976(昭和51)年 第22回一陽展に「森の中の洋館」「初夏の伊豆風景」を出品。
5月「鈴木信太郎油絵展」(銀座和光)
9月「鈴木信太郎自選展」(銀座和光 主催日本経済新聞社)
1977(昭和52)年 第23回一陽展に「伊豆の春」「黄色い壷の静物」を出品。
1978(昭和53)年 5月「鈴木信太郎油絵展」(銀座和光)
第24回一陽展に「河沿いの村」「伊豆の山」を出品。
1979(昭和54)年 第25回一陽展に「窓の静物」「天城高原」を出品。
1980(昭和55)年 第26回一陽展に「早春武蔵野」「絵箱と壷のある静物」を出品。
5月「鈴木信太郎新作展」(そごう神戸店)
5月「鈴木信太郎油絵展」(銀座和光)
1981(昭和56)年 第27回一陽展に「新緑の道」「窓ぎわの棚」を出品。
1982(昭和57)年 第28回一陽展に「石垣の上の家」「人形二人」を出品。
10月「鈴木信太郎展」(日本橋・大阪高島屋 主催読売新聞社)
1983(昭和58)年 第29回一陽展に「ばら」「緑の中のすべり台」の出品。
11月「鈴木信太郎油絵展」(銀座和光)
1984(昭和59)年 第30回一陽展(創立30周年記念)に「突堤のある港(伊豆)」を出品。
9月「鈴木信太郎油絵展」(日本橋高島屋)
1985(昭和60)年 第31回一陽展に「武蔵野風景」「百合のある静物」を出品。
1月「鈴木信太郎自選展」(徳島そごう)
1986(昭和61)年 第32回一陽展に「みかん畑の見える海」「新緑の伊豆高原」を出品。
4月「鈴木信太郎油絵展」(日本橋三越)
8月「鈴木信太郎展」(そごう美術館 主催(財)そごう美術館)
1987(昭和62)年 第33回一陽展に「ばらとざくろ」「海の見える丘(伊豆)」を出品。
7月、随筆集『美術の足音 今は昔』(博文館新社)を出版。
8月「鈴木信太郎展」(八王子そごう 主催(財)そごう美術館)
11月、文化功労者として顕彰される。
1988(昭和63)年 第34回一陽展に「ひまわりとくだもの」「絵箱と桃」を出品。
5月「鈴木信太郎油絵展」(日本橋・大阪高島屋)
7月「鈴木信太郎展」(長崎県立美術博物館 主催(財)そごう美術館・長崎県立美術博物館)
1989(平成元)年 2月、日本赤十字社医療センターに入院。
5月13日、9時54分 日本赤十字社医療センターにて逝去(享年93歳)。
絶筆「伊豆の山」「ばら」「柘榴」
5月17日、本願寺和田堀廟所に於て一陽会葬が行われる。
9月、第35回一陽展に絶作「函館」「晴れた日の港」「ざぼんと人形」「柿若葉」「ばら」を出品。
1990(平成2)年 5月「鈴木信太郎遺作展」(そごう美術館 主催読売新聞社・(財)そごう美術館)
6月「鈴木信太郎遺作展」(奈良そごう美術館 主催読売新聞社・(財)奈良そごう美術館)
(「鈴木信太郎遺作展」(そごう美術館)図録より転載)

出 典:『日本美術年鑑』平成2年版(240-243頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「鈴木信太郎」が含まれます。
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