円山応祥

没年月日:1981/07/21
分野:, (日)

日本画家円山応祥は、7月21日午後7時15分、老衰のため京都市右京区の双ヶ丘病院で死去した。享年77。1904(明治37)年11月2日、円山応挙の五代末裔応陽の子として京都に生まれる。本名は国井謙太郎。円山派は、応挙以後多くの画家を輩出したが、宗家は、応瑞、応震、応立と続いたところで絶家、このため応震の妹が国井家に嫁して生んだ国井応文が円山五世となり、応陽、応祥と続いていた。応祥は円山派七世を号している。応祥は父応陽に画を学び、京都市立絵画専門学校を中退、父の没後、一時山元春挙に師事した。田鶴会に所属していたものの個展のほかにあまり発表の機会は多くなかったが、円山派絵画の鑑定者としても知られた。

出 典:『日本美術年鑑』昭和57年版(279頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

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例)「円山応祥」『日本美術年鑑』昭和57年版(279頁)
例)「円山応祥 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10012.html(閲覧日 2024-04-25)

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