中村貞以

没年月日:1982/03/12
分野:, (日)

 院展の美人画家中村貞以は、3月12日午後11時40分腎不全と敗血症のため、大阪市阿倍野区の大阪市立大学付属病院で死去した。享年81。1900(明治33)年7月23日大阪・船場で鼻緒問屋を営む中村清助の第四子として生まれ、本名清貞。幼時期両手に大やけどを負い、指の自由を失ったため、以後絵筆を両手ではさんで描くことになる。1909年浮世絵師長谷川貞信に絵の手ほどきを受け、19年日本美術院同人の美人画家北野恒富に入門する。翌20年第6回大阪美術展で「微笑」が初入選、デビュー作となり、22年の同展で「お玉」が第一席となる。院展では23年第9回試作展に「仙女」が初入選、第一席を受賞し、この折、手の不自由なことへの大観の励ましに感じ、以後大観に深い尊敬の念を抱き続ける。翌24年院友推挙、32年第19回院展で「朝」が日本美術院賞第一賞を受賞、引続き「待つ宵」(33年第20回院展)「朧」(34年第21回院展)等現代風俗を扱った清新な作品を発表し、36年同人となる。恒富が主宰する白燿社にも出品し、34年には自ら画塾春泥会を結成、主宰者となった。戦前の作品には、上記のほか「夏趣二題」(39年第26回院展)「帯」(40年第27回院展)「秋の色種」(同年紀元2600年奉祝展)などがあり、また40年、42年朝鮮に旅行し風物を写生している。戦後に至り画境は充実の度を加え、院展出品作の「螢」(46年)「夏姿」(47年)「爽凉」(56年)「露」(62年)、「香を聞く」(68年)や「浄春」(47年現代美術展)「猫」(48年第4回日展)「雪」「黒髪」(共に57年)など、典麗清雅な趣をたたえる美人画を次々に発表した。58年より日本美術院評議員をつとめ、60年第45回院展「双婉」が文部大臣賞受賞、また65年第50回院展「シャム猫と青衣の女」は翌年第22回日本芸術院賞を受賞、美人画の第一人者としての地位を確かなものとする。この間51年檀一雄の連載小説『真説石川五右衛門』(新大阪新聞)の挿絵を担当、55年インドを旅行し古代仏教美術やインド風俗を見聞、70年には真宗大谷派難波別院本堂余間の襖絵「春・得度の図、秋・往生の図」を描いている。51年大阪府芸術賞、60年大阪市民文化賞、72年勲四等旭日小綬章受章、77年横山大観記念館理事、国立国際美術館評議員、78年より日本美術院理事をつとめていた。
年譜
1900 7月23日、大阪、船場に生れる。本名清貞。父清助。母貞の第4子で家業は先代から始められた鼻緒問屋を営んでいた。母貞は大垣藩々士の娘
1909 浮世絵師として知られた長谷川貞信(旧名小信)に手ほどきを受ける。
1911 大阪市南区大宝寺小学校卒業。
1916 3月、私立大阪経理学校語学部(英語科)中退。
1919 2月、日本美術院同人北野恒富に師事。
1920 第6回大阪美術展《微笑》初入選。
1922 第8回大阪美術展《お玉》第1席受賞。
1923 第10回日本美術展《春》、第9回日本美術院試作展《仙女》初入選、第1席受賞。第9回大阪美術展《少女嬉戯》(双幅)、第2回白燿社展《少女座像》
1924 第11回院展《大原女》院友に推挙。第3回白燿社展《朝》高島屋賞受賞。第10回大阪美術展《焚火》《凉相撲》、第1回大阪市美術協会展《梅妃》
1925 母貞逝去。第11回院試作展《夢》、聖徳太子奉賛展《拳を打つ》(双幅)、第2回大阪市美術協会展《春》、第4回白燿社展《娘》
1926 第12回院試作展《加賀の千代》、第5回白燿社展《月》
1928 島成園門下の高橋千代子と結婚、第13回院試作展《婦女の図》、第6回白燿社展《文鳥》
1929 第16回院展《立女》、第7回白燿社展《少女舞戯》
1930 長女青子誕生。第17回院展《昼》
1932 第19回院展《朝》(二曲一双)日本美術院賞第1賞受賞。第16回院試作展《追い羽根》
1933 第20回院展《待つ宵》、第17回院試作展《蛇皮線》
1934 画塾春泥会を結成。京都、私立長岡美術専門学校講師となる(昭和18年まで)。第21回院展《朧》(二曲一双)、第18回院試作展《口紅》
1936 改組第1回帝国美術院展《五月雨》4月、日本美術院同人推挙される。第23回院展《海女》、第2回春泥会《伊勢物語》《緑雨》
1937 第24回院展《ゆうべ》
1938 第25回院展《浴後》(焼失)、第22回院試作展《二少女》(二曲一隻)、第5回院同人作品展《少女》
1939 父清助逝去。大阪市帝塚山に転居。第26回院展《夏趣二題》、第6回院同人作品展《花菖蒲》、第5回春泥会《夜なが》(二曲一双)
1940 第1回朝鮮旅行。第27回院展《帯》、紀元2600年奉祝展《秋の色種》奉祝展買上げ。春泥会小品展《少女(お手玉)》、第5回青松会《霽間》、第6回春泥会《黒髪》
1941 第28回院展《吉野》、第7回春泥会《妓生三姿》、第1回朝陽美術展《さみだれ》、仏印巡回展《夜長》
1942 第2回朝鮮旅行。第29回院展《酸漿》、日本画家報国会軍用機献納展《花》、日本美術院同人軍用機献納展《月》
1943 文部省戦時特別展《大空へ》、関西邦画展《芸能譜》、日本歴史画展《袈裟》、昭華会新作展《春信》
1945 院小品展《黒髪》
1946 第31回院展《螢》
1947 第32回院展《夏姿》、第2回院小品展《清坦》、現代美術展《浄春》文部省買上げ。5月、師北野恒富急逝。
1948 第4回日展審査員となる。《猫》出品。第33回院展《立秋》、日本現代美術展《三味線》
1949 第34回院展《双頬》、第4回院小品展《芳春》
1950 第35回院展《髪》、第5回院小品展《春あらた》、第9回春泥会《髪》
1951 第36回院展《立秋》、第6回院小品展《一紫》、第10回春泥会《初夏》。この年、新大阪新聞に連載小説檀一雄作『真説石川五右衛門』の挿絵を担当。秋に大阪府芸術賞を受賞。
1952 第37回院展《華清之浴》、第7回院小品展《浴後》、第11回春泥会《露》(素描)
1953 第38回院展《蒼炎》、第8回院小品展《春》、在エジプト日本大使館《鏡獅子》、第12回春泥会《やよい》
1954 1月 約2か月間インドに旅行しネール首相に《黒髪》献呈。第39回院展《浄韻》。第13回春泥会《花》《インド婦人》(スケッチ)
1955 第40回院展《遥拝》、第10回院小品展《印度婦人》、第14回春泥会《夕べ》、在ペルー日本公使館《娘道成寺》
1956 第41回院展《爽凉》、第11回院小品展《草色の帯》
1957 第42回院展《粉粧》、第1回個展(大阪高麗橋・東京日本橋、三越)《雪》《月》《花》《春(舞妓図)》《夏(浴後)》《秋(黄秋)》《黒髪》、第16回春泥会《黒髪》(草稿)
1958 第43回院展《春抄》。この年より日本美術院評議員となる。第17回春泥会《惜春》
1959 第44回院展《踊り》、院同人展《夕顔》
1960 第45回院展《双婉》文部大臣賞受賞。11月、大阪市民文化賞受賞。
1961 第46回院展《首夏》、第16回院春季展《春宵》
1962 第47回院展《露》、第17回院春季展《春日》、院同人展《婦人》
1963 第48回院展《黒いレースの女》、第18回院春季展《鉄漿》
1964 第49回院展《清韻は響く》、第19回院春季展《舞妓可代》、丁亥会《薊》《松韻》
1965 第50回院展《シャム猫と青衣の女》日本芸術院買上げ。
1966 4月、前年院展出品作《シャム猫と青衣の女》および多年の業績に対して日本芸術院賞受賞。7月、画集『粉粧』出版。第51回院展《螢》、五都展《首夏》
1967 第52回院展《白と赤の朝》、第18回春泥会《初夏》(草稿)
1968 第53回院展《香を聞く》文化庁買上げとなる。第23回院春季展《少女と犬》、第19回春泥会《浄心》
1969 第54回院展《白い口紅》、第20回春泥会《舞妓加寿子》
1970 5月、真宗大谷派難波別院本堂余間の襖絵《春-得度の図・秋-往生の図》を完成、南御堂に納められた。7月、天皇、皇后両陛下住吉大社御参拝に際し、《御田植神事田舞の図》献上。第55回院展《牛》、第25回春の院展《舞妓》、第21回春泥会《縞衣の女》
1971 第56回院展《簪》、第26回春の院展《初姿》
1972 沖縄に旅行。3月、勲四等旭日小綬章受賞、第57回院展《砂丘に倚れる》、第27回春の院展《おんな》、第23回春泥会《南国の女》
1973 第58回院展《占う》、第2回個展東京・大阪三越《海碧し》《舞妓》《白磁》《点心》《地唄舞(菊の露)》《春一枝》《春》、第28回春の院展《舞》、第24回春泥会《首夏》
1974 第59回院展《白鳥の詩》、第29回春の院展《雪》、小倉遊亀寺島紫明中村貞以自選三人展「おんな」(神戸そごう・朝日新聞社主催)開催、第25回春泥会《近松の女》
1975 第60回院展《湯浴みして》、第30回春の院展《春近し》、第26回春泥会《K婦人》
1976 第61回院展《鵜飼をみる》、第31回春の院展《水温む》、第27回春泥会《初夏》
1977 横山大観記念館理事、大阪・国立国際美術館評議員となる。第62回院展《ある婦人》、第16回錦装会日本画展《秋立つ頃》、第28回春泥会《祇園の女》
1978 3月、台湾に旅行。日本美術院理事となる。第33回春の院展《台北小姐》
(関千代『中村貞以』現代日本人画全集6 集英社より)

出 典:『日本美術年鑑』昭和58年版(268-270頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「中村貞以」が含まれます。
to page top