【1892.11.05】

十一月五日

 和郎ニ電信で此の暮村ニ居るから來いと云テやる 朝僅ニ一時間位しきや稽古出來ず 晝後霜菜ヲ手本として一寸始メテ居た處ニ人が來て岩村がオレヲ尋て居ると云て來た 之レデ仕事ハだめと爲る 村三條ノ娘ニ扇子ヲ送る 岩村ニオレの畫など見せてやる 後兎馬の車で$マルロツト$ヲ經てお化の池だの狼が谷など見ニ行く 森の景色中々よろしく歸へる時ニハ暗く爲つて鹿の聲があすここゝニ聞えた 鹿のこう云様ニ鳴くのハ始めて聞た なんだかすごい様ナ淋みしい様なもんだ 淋みしい様ナ處で聞からそう聞えるのかも知れない 岩村が七時の氣車で歸へつて行くと云から$ブーロン$の停車場ニ車ヲ付ケテしばらく待合部屋ニ居た なニしろ七時ニハ未だ一時間の餘も有る どうだ村ニ來テ泊てあしたの朝六時過の氣車で立つたらどうだと云たらとうとうそうする事と爲る 即ち村へ歸る 食後岩村ヲオレの部屋ニ連れて來てつまらない下畫だの又畫寫眞や畫入の本など引出シテ見せる 十時過ニ宿屋ニ一緒ニ行き臺所で$マント$水を飲みそれからねると云ので部屋迄送て行き別れを云て歸る 今夜ハ雨


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