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黒田清輝の言葉
「今日では画のサウ沢山の種類が日本に雑居しております、是を総括した日本画という名称を附けて見ると今では少し無理な様だ、なぜなら在来の所謂日本画なるものと比較的新しい油絵の如きものとは其趣を異にして居ります併しそれには画方と云ふものは違って居ても日本で出来ると云ふ即ち日本人の頭脳から出ると云ふ事柄に就いて、油絵も遂に日本化させられて一種違った日本風と云ふものになることは極まって居る」
(「絵画の将来」、石川松溪編『名家訪問録』第一集、明治35年)

「一口に云へば西洋人は仕上げと云ふ事に重きを置き、日本人は画題と面白味と云ふ事に重きを置いてゐ。この画題面白味と云ふ事を考へるのはつまり日本の国民性で、日本画などでは何時もこれに苦心してゐるのである。将来、日本の洋画が発達して来て、仕上げも立派に出来るやうになり、それに日本の特色のあるものが出来るであらう。」
(「美術瑣話」、『趣味』大正元年1月)

「何んと云つても日本の洋画界は未だ混沌たる渦中にある。もう二三十年もしたら漸くこれは日本の洋画ですと云つて外国へ誇るとまではいかなくとも見せられる様にはならう。今の処はまだ子供である、其頃になつたら一人前の大人になるであらう。私などにしてもまだやつとスケツチが出来る位に成つた位のもんである。私は当年とつて正に五十歳になるが芸術にかけては一個の学生に過ぎぬ。年の割には画がうまくない。勉強する時間もいろいろのものに裂かれて比較的少なかった。これからまあ大に勉強する所存である。」
(「私は斯う思ふ」、『みづゑ』大正5年11月)
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