黒田記念館 > 研究資料 > 黒田清輝関係文献目録 > IV 定期刊行物

◎私の観た故岩村男爵

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 岩村君も遂頭、逝きましたね、実に案外な事が驚きました同君は会えば毎時も元気が好くて、病気なぞは何処にもない様な調子でしたがね……
 追憶談ですか、私共は久しい間の交際であつたから、随分色々話はある。此間発行の「美術」の中に八潮生と云ふ人の書いた、「岩村氏とラスキン」の中に、同君の性格の事が書いて有るが、誰の筆か知らぬが、能く解釈して書いてあると思ふ。誰しも二重の性格を持つて居て、表裏は自からあるものゝ様に思ふが、岩村君には、それが特に激しかつたやうだ。平常は随分面白い事を云つて、人を笑はせたりして居たが、美術の事になると真に技術家の為になる標準的の事を云ひ、又美術に関する種々の経営の事をも始終考へて居られた。であるから口の先の戯談と美術上の意見を比較すると、そこに表裏の奇妙な差異が見える。美術の為めに言つた事は、至極真面目で熱心であつたが、其の熱心で真面目な国家的の考も時々非常な洒落的の言葉や、悪口に依つて発表される場合が有つたから、真に受け無い向も多かつた様に思ふ。のみならず皮肉屋であつたから、皮肉の為めに、対手の感情を害して折角の善い事柄も悪く取られて了ふと云ふ様な場合も少なくなかつた。
 私共は同君の性格は表裏の二方面から識つて居るので、諧謔の側で常に面白い思をさせて貰ひ、又真面目な批評家としては、度々有益な教を受けた。「美術」誌上の坂井君の追悼の言葉の中に、岩村君は美術の正径を堅く取つて動かなかつた人であると云ふ意味の事が見えて居るが、大に同感である、斯様に岩村君が注意して居られた、美術上の正しい一貫した系と云ふ事は、全く大切な事であるが、只それが時代々々に於て、多少形式が異るので、時とすると、系を取り損ふ事がある。左様云ふ事に就ては、岩村君の様な批評家が有つて、我々技術専門の者を導いて貰う必要がある。それで私の様な美術に就て、只感覚の上から、斯ふ思ふとか感ずるとか云ふ者に取つては、更に学問上からの確実な判断をして呉れる人があつて、我々の行つて居る事が、系を取り違へない様に、導いて呉れるのは非常に有難い事である。実際私共が製作の上から、斯云ふ様に思ふがと思ひ乍らも、多少迷つて居る様な場合、同君から確実な理論を聴いて安心をした様な事も、度々あつたのである。
 岩村君は非常な読書家で又卓越した鑑識家であつたと云ふのは、ラスキンは素より、近頃の欧羅巴の学説にも通じて居られたので分るが、我々としては、更に以上に偉いと思つた事は、総ての学説又は著作に対して、盲従的に信じて取次をして居られると云ふのではなくて、学説は学説として、実際に就て正しい解釈を下し又自身に感得した事を適切な言葉に纏めてそれを我々に説明して一の根底を作つて呉れられた事である。斯云ふ事の出来たと云ふのは、生れつき非常に鋭敏な美術的の感覚を持つて居られたからである。若し此の美術に就ての天禀の鋭敏な感覚が無かつたならば、たとへ幾万冊の本を読んでも、有益な学者とは言へ無つたらうと思ふ。此の鋭敏な感覚に依つて外物に触れて直ちに光明を発するところの同君独特の観察眼は独り美術にのみ限られたと云ふ様な狭い範囲の者でなく、世の凡ての事に対しても、絶えず活動させて居られて、而して批評家としては全く独特の美術的の見地に立つて居られた。  又時々其言ふ事が少し矛盾する様な傾向のあつた事を認めて居る人もある様だが、これは昔噺にある一休が魚を喰つたのと同じ事で、岩村君の精神のある所を、深く知らない人は其魚を食ふ様な事があると、如何にも不思議に思ふのであらう。これは其真意のある所を知らぬ人には分り難い事である。
 つまり同君は其抑へきれない程の才気をその侭さらけ出すと云ふ所があつた。例へば人の思ひも寄らぬ事を、見抜いた様に云ふ様な事などは、対手の性質に依つては、随分感情を悪くする事もあるものであるが、岩村君には、さう云ふ一種の慣があつた、人の心の底を探つて見る事を一種の愉快として居られたと云ふ様な事で、同君としても若し少し考へれば言ひすぎたと云ふ場合もあつたに違ひないが、何分にも一寸頭に浮んだ事を、そのまゝ言つて了はねば気がすまぬのみならず、それが一種の楽しみでゞもあつた様である。であるから別に根に持つて言つたのでも無く又根に持つ様なつまらぬ事は決して無いのであるが、然し其的になつた人は忘れないで不快な念を持つ、斯云ふ同君の性格が齎らした一面の事柄は幾分同君を誤解させる種になつたかと思はれる。
 然し同君に取つては誤解などは何んでもない、自分は大なる宇宙を相手にして居るから、人は何んとでも勝手に思へと云ふ風であつた。
 何にしろ同君は、只思ひの侭の事をして、終つた訳であるが、此過渡時代の事ではあるし、又何事も是れからと云ふ時に逝かれたので、仕事として同氏を代表する程の物が残らなかつたのは、頗る惜しいと思ふのである。(談)
(「美術之日本」9-9  大正6年9月)
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