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◎カロリュス・デュランに就て

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折節黒田家に御不幸があつたので黒田画伯の評論を聴くのを遠慮したが、締切間際に、一夕画伯を訪ふて話次聞得た談片を左に摘録する。(一記者)
 カロリュス・デュランは、一度私共の研究所へ来たことがあつた、コラン先生の門下で、私共が二十人計りで画室を立てゝ居た時であつた、その前に其画室を持つて居た教師を、カロリュスは訪ねて来たのであつた。画の評をして貰ひはしなかつたが、如才なくお世辞を振り蒔いて還つて行つた。立派な風采で、顎鬚を分けて頭髪は胡麻塩であつたが、立派なフロックコートを着て居た。後で皆が「内の先生よりは大分立派だ」と評し合つたことであつた。カロリュスは贅沢な生活をして居た、大抵の画家は貸馬車に乗つて居るのに、カロリュスは抱への馬車に乗つて居た。
 カロリュスは、ウェラスケス系統で、ウィッスラー、サアジァントなど、同じ系統である。ウィッスラーの色は沈んだものだが、カロリュスのは華美なものである。筆は達者で、繻子などの女の着物を描くのが得意だつた。(談)
  (「美術」1-7  大正6年5月)
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