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◎諸家の第六回文展観-洋画は年々進歩する

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我々年々鑑査に与つて居るものは、毎時も、多数の拙い出品を見て居るが、その拙い画が多く出品された年は、特に出来が悪るい様に思はれるけれども、併し鑑別を経て選に上つて、陳列されたものだけに就て見れば、年々少しづゝでも進歩して居ると思ふ。例へば今年入選中の最下級の品と昨年入選中の最下級の品とを比べて見ると、今年のが昨年のよりは進んで居ることが判る。それに年々入選者の新顔が増して行くことも、一般洋画界の進歩を徴することが出来る。授賞の事は全然別だから言はぬが、唯だ場中に目立つたものが少いと、兎角出来が悪るい様に思はれ易いのである。
 下らない出品の年々多いと云ふことは種々の原因があらうが、其原因の主もなもの、少くとも其一つは、文展と云ふものが画家に対して与へる一種の感じであると思ふ、之が他の私立の展覧会であつて見れば、画家が先づ自分の技倆や、身の程を考へて、迚も出した所ではねられるとか、又は出しても売れないとか云ふ風に考へて、出品を見合せるが、さて文展となると、自分の力量を考へる遑もなく、身の程を顧みる遑もなく、兎も角も出して見やうと云ふ気分になるのは、畢竟文展と云ふものに酔はされて居るのである。それを一概に悪い方にばかり見るのは酷であらう。寧ろ洋画を学ぶ人が殖えつゝあることを現はすものと見る方が、宜からうと思ふ。
 洋画界の潮流の方から見ると、今こそ過渡期に際して居るかと思はれる、勿論いつでも過渡期でないことはない訳だが、今は過渡期中の過渡期に際して居るのではないかと思はれる。それは、従来は形とか色とか光の研究とか、感興とか手法の苦風とか、種々の試みをして又是迄は、着想の方から云つても、偶然に思い付いて画いたものが多かつたが、それが出品してから賞でも付くとか、又は世間から好評でも受けると、偶然の見付け処であつたものも悟る処があり、又は自分で意識しなかつた長所を発見して、それを基礎として、今度は故意に其傾向のものを作ると云ふ様なことが起る。故意に作つたものは、初めのもの程面白くないかも知れぬが、それは決して退歩とは云へぬ、それを更らに一段磨けば大成するに至るかも知れぬ兎も角一歩を進めたものと見ねばならぬ。
 それで、作家の出品に対する用意、着想、動機其成敗に於ける経験、感想と云ふ様なことを正直に作者が話をして、新聞や雑誌に掲げたら、作者相互に益するところがあり、又現に審査員であり又引続いて審査員たらんとする人々にも好参考となるであらうと思ふのである。(文責在記者)
  (「美術新報」  大正元年11月12日)
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