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黒田清輝「菊」の光学調査 菊花に覆われた未完の武者絵
平成15(2003)年度に、ポーラ美術館の協力を得て、同館所蔵の黒田清輝作品3点(「野辺」、「菊」、「赤小豆の簸分」)の光学的調査をおこないました。
ここで紹介するのは、「菊」の光学調査の研究成果です。
はじめにカラー画像(画像1)を紹介します。
この作品は、1913(大正2)年10月に開催された第7回文部省美術展覧会に「菊花」と題され出品されました。
画面左上に「Seyki Kouroda 1912」とサインが入れられています。
黒田清輝の「日記」から、1912年11月29日の項に、「午後二時ヨリ残菊ヲ集メテ描ク」と記されています。その後、12月1日、2日、3日、4日と描きつづけ、9日に「午後家ニ在リテ菊花図ノ補筆ヲナス」、さらに12日には「午後専ラ菊花ヲ描ケリ 此図略落成セリ」と記されており、この日に完成されたとおもわれます。種々な菊が華やかに生けられ、同年4月に描いた「瓶花」(東京国立博物館蔵、1912年6月に第1回光風展に「菊花」と題されて出品された。)との連続性を感じさせます。

画像3 |
この「菊」の反射近赤外線撮影をおこないました。(画像2)そうしたところ画面左下から馬に乗った武者像らしき線描をみとめることができました。(画像3) |
さらに、キャンバス面に一番近い画像を得るために、画面裏から光をあてて撮影した透過近赤外線撮影をしたところ、武者の群像の線描を確認することができました。(画像4、画像に写された黒い帯は、キャンバスの木枠の陰です。90度回転させた拡大画像5) |

画像4 |

画像5 |
黒田が、このような歴史画を描いたことは知られていません。
黒田記念館に所蔵されたデッサン、写生帖を見ても、これに関連した、あるいは類似したモチーフはありません。だからといって黒田が他の画家による描きかけのキャンバスに描いたということも考えにくいのです。
騎馬武者を背後にして、前に歩み出してくる武者たちの姿が、実に巧みに描かれています。たとえば、絵巻、屏風など、俯瞰的な、あるいは右から左へと流れていく伝統的な日本画の構図ではありません。立体感のある前へと歩み出てくる群像の構図は、西洋画家ならではのものといえます。また、兜の形や武者の陣羽織の姿からは、桃山時代の意匠を参考にしたと推察されます。
「菊」を描く以前、黒田は同年10月30日から11月14日までの約2週間にわたり京都、奈良、大阪を旅行しています。そうした折の見聞が、日本の歴史への関心をかきたてたとも考えられますが、あくまでも推測の域をでません。
それでは、何時、どのような意図をもって、またどのようにして着想されたのか、現在のところまったく不詳です。この菊の花に覆われた武者の群像は、黒田清輝の芸術に新しい一面を加えることになるのでしょうか。
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