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黒田清輝と美術研究所

黒田清輝
 2007(平成19)年に行政改革による法人統合により、独立行政法人国立文化財機構東京文化財研究所となった当研究所は、1930(昭和5)年に開設された帝国美術院附属美術研究所を母体とします。洋画家黒田清輝の遺言と遺産の一部によって、美術を研究する機関として設置された帝国美術院附属美術研究所は、第二次世界大戦後の1947(昭和22)年に国立博物館附属研究所、1950(昭和25)年に文化財保護委員会の附属機関となりました。1952(昭和27)年東京文化財研究所に改編され、広く文化財全般に関する調査研究を行う機関として位置づけられ、美術部、芸能部、保存科学部、庶務室による組織となり(1984年より文化庁の施設等機関となる)、1954(昭和29)年に東京国立文化財研究所となりました。1968(昭和43)年6月に文化庁の附属機関となり、1973(昭和48)年には修復技術部が、1977(昭和52)年には情報資料部が、1995(平成7)年には国際文化財保存修復協力センターが設置され、有形・無形の文化財に関する総合的研究機関として活動してきました。2000(平成12)年、庁舎が新営され、それまで黒田記念館と東京国立博物館敷地内の庁舎に分かれていた部、センターが一つの庁舎内に移転しました。翌2001(平成13)年、行政改革により独立行政法人文化財研究所東京文化財研究所となり、2007(平成19)年にはさらなる改革により、独立行政法人文化財研究所は独立行政法人国立博物館と統合し、新たに設置された独立行政法人国立文化財機構の一施設である東京文化財研究所となって、現在に至っています。

 以下に、東京文化財研究所設立の経緯について、黒田清輝との関係を中心にご紹介します。

『東京文化財研究所七十五年史 本文編』
2010年発行 3~12頁 より引用

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