ブックタイトル未来につなぐ人類の技17 煉瓦造建造物の保存と修復

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概要

未来につなぐ人類の技17 煉瓦造建造物の保存と修復

イタリアにおける組積造建造物の耐震について西川英佑ICCROM, Sites Unit, Project Manager1.はじめに2016年8月にイタリア中部で発生した地震では、アマトリーチェの町中心部が灰じんに帰すなど、歴史的建造物のみならず人的・経済的に甚大な被害がもたらされた。その後も余震が続き、10月には同地域で立て続けに規模の大きな地震が発生、8月の地震で損傷していた建物が崩壊するなどして、被害がさらに拡大した。イタリアでは現在、復旧に向けての対応が行われ、被害分析や今後の対策検討などが実施されているところである。イタリアでは過去、アフリカプレートとユーラシアプレートの衝突により、半島の背骨となるアペニン山脈に沿う地域とシチリア島東海岸を中心に、規模の大きい地震とこれによる甚大な被害を繰り返してきた。例えば、ローマの代表的な遺構であるコロッセオは、紀元後1世紀に建設された後、3世紀・5世紀・9世紀に地震被害を受け、14世紀の地震では現在欠失した状態となっている外周リングの南側部分が大きく損傷したとみられている。18世紀の地震でさらに損傷が進み、19世紀に外周リング二箇所にバットレスを付ける補強などを行い、現在の姿に至っている。また、シチリア島のノートは17世紀、シチリア東海岸で発生した大地震で町が廃墟となり、地震後、場所を移して新たに作られた町が現在、“ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々”の一つとして世界遺産登録されている。その他にも地震被害やその復旧・補強の痕跡が歴史的建造物や遺跡にみられる事例は枚挙に暇がない。近代になってからも、1883年にイスキア地震、1908年にメッシーナ地震が発生し、甚大な被害をもたらしているが、当時これらの被災地域には日本からも研究者が調査に訪れている。イスキア地震後には組積造を格子状の帯鉄で内外から挟むなどの耐震工法が開発されており、メッシーナ地震後には地震力を定量化し耐震設計を行う方法が提案されるなど、組積造建造物の近代的な耐震化も提案されている。ちょうど日本で西洋から導入された組積造建造物の建設がピークを向かえ、一方で1892年の濃尾地震や1923年の関東大地震でその耐震性が問題視され耐震化が検討された時期に当たる。日本とイタリアは過去にこのような地震被害とその復旧・対策を繰り返してきたという歴史的背景で共通しているとともに、現在、文化財建造物の耐震対策という課題に直面しているという点でも共通している。本稿では、イタリアにおける地震対策の動向について、特に近年の地震対策の引き金となったフリウリ地震以降のあゆみについて紹介した後、現在の対策状況について説明する。2.近年の地震被害とそのあゆみ1976年にイタリア北西部、スロベニア・オーストリアとの国境に近いフリウリで発生した地震は、この地域の文化財建造物を含む組積造建造物に甚大な被害をもたらした(写真1)。イタリアではこの地震まで組積造建造物の耐震設計が本格的に行われることはほとんどなかった。このため地震後の復興に際し、組積造建造物の耐震性確保のための補強方針が示され、注入工法やピンニング工法、ジャケッティング工法などが紹介され、これが文化財建造物にも適用された。迅速な復興の中で耐震性を確保していくために必要な措置であったといえるが、一方で、これらの補強方法の中には、当時まだ理論や実験による裏付けがなく、また文化財建造物に関していえば、文化財保護の観点から求められる可逆性や既存の材料・構造の保存に対する意識も不十分であったといえる。写真1イルピニア地震での被害(アヴェリーノ大聖堂)34第4章イタリアにおける組積造建造物の耐震について