ブックタイトル未来につなぐ人類の技17 煉瓦造建造物の保存と修復

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概要

未来につなぐ人類の技17 煉瓦造建造物の保存と修復

筆者の仮説は以下である。焼物である煉瓦は必ず製品寸法誤差が生じる。狙いの寸法が3.6寸であっても3.55寸や3.45寸(誤差約4%)が生じることは今日の技術でも不可避であろう。工事現場では納品された煉瓦を分別したのではないだろうか、と考えている。そして、機械的に積んでいけば「分」の位にしか納まらない寸法を、工事監理者の指導により、煉瓦職人は煉瓦の寸法を個別箇所で見極めながら積むことによって、結果として72尺という完数で納まる建築寸法を実現させたものと推測している。目地寸法で調整するほうが容易であるとの指摘もあろう。しかし、1分(3mm)調整するのに、目地幅を3分から2分に縮めたら、肉眼でもおかしく見えるであろう。一方で、煉瓦寸法を1分変化させるくらいでは肉眼では分からない。詳細な実測調査によってのみ解明できる技法である。それは“再現することが容易でない”技法であり、冒頭で述べた、「壁面を構成しているひとつひとつの煉瓦がその原位置にある、ということに意味があり、価値ある」と考える所以である。4.標準設計と煉瓦積み施工同一機能、同一規模、同一形態の一群の煉瓦造建築が遺されている。おそらく標準設計が存在し、それに基づいて施工されたものと考えられるが、その煉瓦積み方をつぶさに観察すると興味深い事実が明らかとなる。つまり、同じ出来形の建築物を造るのに、煉瓦の積み方が違う、煉瓦の数量が違う、煉瓦の大きさが違う、のである。日露戦争の臨時軍需費の財源の一部を塩消費税で賄うことを目的とした塩専売法が公布されたのは明治38(1905)年1月、施行されたのは同年6月である。法施行に伴う塩務行政の遂行のために大蔵省所管の塩務局の組織が新たに設置され、そのための庁舎や倉庫等が至急必要となった。設計および工事監理を当初担当したのは大蔵省臨時煙草製造準備局建築部、その後を引き継いだのは大蔵省臨時建築部である。当時、製塩業が盛んだった、北は仙台、南は鹿児島に至る地域に塩務局は設置され、木造洋風の庁舎とともに附属の書庫が建築されており、書庫については防火・耐火の観点から構造は煉瓦造が採用された。大蔵省臨時建築部年報によれば、総数72棟もの煉瓦造書庫が明治38年度から40年度の間に建てられた。筆者は、そのうち9棟について実地踏査した。その他の63棟については存在情報が確認できていない。9棟は兵庫県、岡山県、広島県、山口県、愛媛県、大分県、福岡県、長崎県にまたがっている。そのうち、兵庫県の旧赤穂塩務局の書庫は唯一2階建てである。これ以外は平家建ての煉瓦造建築である。写真2に示すように、屋根勾配、開口部形状、石材の使い方などが同一であり標準設計に基づくものであると考えられる。壁厚は妻面壁が煉瓦2枚、平面(ひらめん)壁は1枚半で共通である。大蔵省臨時建築部年報には、木造洋風の庁舎の標準設計図は掲載されており、局の等級による設計仕様の違いも示しているが、煉瓦造書庫についての図は掲載されていない。書庫についても局の等級あるいは規模に応じた違い(平家建てか2階建てか、建築面積の差)があったと思われる。さてこの8棟のなかでは、4伯方出張所の書庫が一回り大きく建築面積が10坪、梁間方向2.5間(けん)、桁行方向が4間である。それ以外の7棟は2.5間×3間の1旧熊本塩務局津屋崎出張所2旧三田尻塩務局小松志佐出張所3旧熊本塩務局姫島出張所4旧阪出塩務局伯方出張所5旧長崎塩務局早岐出張所6旧三田尻塩務局長府出張所7旧三田尻塩務局秋穂出張所8旧味野塩務局山田出張所図13D-E壁の煉瓦配列17