ブックタイトル未来につなぐ人類の技16 近代文化遺産の保存理念と修復理念

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概要

未来につなぐ人類の技16 近代文化遺産の保存理念と修復理念

る。このように、建物内の片付けも、その場の使われ方を把握してから慎重に進めなくては、貴重な遺産を損ねることになる。富岡製糸場にもどると、西繭倉庫の一階の一部は当初石炭置き場であったため、中庭に面した壁がなく、1896年に建具で塞いで選繭場等に転用した。昭和期に気密性を確保するために内側に貼られていた合板を撤去したところ、明治期からのガラスが入った建具が現れたが、その欄間部分には写真8のように一面、紙が貼られていた。この紙は明治期の文書である。欄間部分は板一枚で隙間があり、冬に現場に入ると、紙でも良いから貼って、せめて隙間風を防ぎたい気持ちが良く分かる。そういう形で人が働いていたからこそ工夫してこういうことをやったという、ひとつの産業活動の遺産である。歴史の研究者としては、文書を剥がして内容を読み、しかるべく保存すべきかとも思うが、この古文書を解読することで得られる情報よりは、現状の使われ方に価値があるのかなと思いはじめている。これは史学の史料保存と産業技術史的な遺産の保護との相克と言えるかもしれない。ある。欧米に比べ日本の歴史学は政治史中心で生活史の比重が低い。このため、日本の産業遺産では欧米より生活関係の遺産が重視されていない面があるが、欧米を基準にしなくとも、富岡製糸場の来場者からは労働者の生活の状況が見えないことへの不満が聞かれた。最近、病室や寮の内部が覗けるように改善された。しかし、空虚な建物の現状が見えるだけで、使われていた状況の再現は今後の課題である。娯楽施設や教室としも使われたブリューナ館の舞台には神棚と仏壇がある。宗教施設として、工場や鉱山でも独立した社を持ち、祭礼を行った神社は気付かれやすいが、集団生活をしている工女たちがどのようにこの神棚や仏壇に対したのか、工場が行った徳育あるいは工女に求めた行動様式もまた、産業技術の一部である。取り扱いが難しい面もあるが、保存すべきであろう。ここでは産業技術史の観点から取り上げたが、もちろん産業遺産は、生活史、労働史の観点からも大きな価値を持っている。6.生活関連遺産のとらえ方富岡製糸場には寮、社宅、病室、さらには工場内の学園の教室が残っている。日本の産業遺跡の場合、従業員の生活の場を保存する意識が弱い。産業技術史は産業の技術を扱うのだから、生産設備だけ残せば良いという誤解もあるようだ。しかし、産業は人間なくしては成り立たなかった。社宅を建てて地元在住者以外の管理者や技術者を勤務させることも、教育、医療や娯楽を提供して、優秀な労働者を集め、また勤労意欲を引き出すことも、重要な産業技術であり、それぞれに歴史的変化もある。従業員の生活の跡も、産業技術史上重要な遺産で7.おわりに産業技術史的観点からは、様々な痕跡や遺物に意味がある。それは建物を修理していく上では、全く悪意なく消されたり、片づけられたりしがちである。そこで、聞き取りや文献調査も含め、遺産の使われ方やそこでの人の働き方、過ごし方を理解した上で、貴重な痕跡を消してしまわないような、また来観者に大切なことをわかりやすく伝えられるような保存、修復が行われるべきである。このためには技術史を含む史学の研究者と、建築や保存の専門家の協力が重要である。もちろん、建物の健全性を確保するため修復は必要で、全ての痕跡を保存すること産業技術史の観点から53