ブックタイトル未来につなぐ人類の技15 洋紙の保存と修復

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概要

未来につなぐ人類の技15 洋紙の保存と修復

図書館および文書館における酸性紙の大量脱酸性化処理横島文夫(株)プリザベーション・テクノロジーズ・ジャパン/専務取締役・博士(美術)1.はじめに図書館や文書館が保存する大量の書籍や文書は多岐にわたる情報の記録であり、各時代の証拠である。これら原物資料を次世代に継承させるうえで、酸性紙と大量脱酸性化処理に対する理解は不可欠といえる。特に酸性紙の特性は、製紙技術や印刷技術における大量生産化の歴史と深く関連する。したがって、酸性紙の発展の歴史を考える際、大量処理といった視点において各種の脱酸性化処理技術が開発されてきたことは自明のことといえる。また、図書館や文書館の多くが、利用と保存の両者に適う具体的な対策を思索している。さらに、脱酸性化処理のみならず、簡易補修など原物資料の状態を改善させる付加的な処置は大量の紙資料を保存する際の欠かせない工程になるものと考える。2.製紙・印刷技術の発展麻を原料とした紙の製法は中国の後漢時代に完成され、シルクロードを経てヨーロッパにもたらされた。12世紀には、スペインにおいて初めての製紙工場が造られた。そして、羊皮紙に比べて原材料の入手が容易であった「ぼろ布」を用いた製紙技術がヨーロッパに導入された。それにより紙は少しずつ普及し、その後の爆発的な需要につながる。15世紀には、ドイツにてグーテンベルグ(Gutenberg, J.)が平圧式の印刷機を用いた活版印刷技術を発明したため、紙の需要はさらに拡大した。製紙分野では、17世紀後半に繊維原料を叩解する装置が発明され、紙の大量生産化は急速に進展した。19世紀になるとグーテンベルグの平圧式印刷機ではその需要に応えられなくなり、より高速な印刷を可能にする輪転機がイギリスにおいて実用化された1)- 3)。さらに、このような近世ヨーロッパにおける印刷物の需要拡大には識字率の増加が背景にあった。したがって、印刷物に対する要求が18世紀から19世紀にかけて急速に拡大するとともに、より安価な紙の大量生産技術の確立は不可欠な要素であったといえる4)。ぼろ布、つまり麻や綿から作られていた紙は、その需要増加に伴って原材料の不足が深刻化した。その結果、18世紀には木材から紙を生産する方法が提唱され、19世紀中頃には木材を摩砕して繊維を分離させる砕木パルプが実用化されていた5)。しかし、砕木パルプは大量のリグニンを含んでおり、短繊維であるために強度が低かった。そこで苛性ソーダを用いてリグニンを除去する化学パルプの製法が発達し、19世紀後半には亜硫酸パルプの製法が確立された6)。また、ヨーロッパでは13世紀頃から印刷を行う際のインクのにじみ止め処理として、紙の表面に膠を塗布する表面サイジングが行われてきた。しかし、19世紀になるとロジン(松脂)と硫酸アルミニウムを抄紙工程にて原料に加える内部サイジングが開発され、印刷用紙の製紙工程はより工業化された1)。3.酸性紙の劣化上述の数百年に及ぶ製紙技術と印刷技術の開発史において、砕木パルプや亜硫酸パルプを用いた製紙法は急速に普及した。特に硫酸アルミニウムを用いたサイジングが一般化したことで、図書館および文書館における酸性紙の大量脱酸性化処理17