ブックタイトル未来につなぐ人類の技15 洋紙の保存と修復

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概要

未来につなぐ人類の技15 洋紙の保存と修復

傷んだ資料の保存診断(assessment)はこれまでもなされていた。しかし、個々の傷んだ資料についてではなく、コレクション全体を視野に置く診断は1980年代に開発された新しい取組みである。資料群が比較的限定されていれば悉皆調査が可能だし、そうでなければ通常はコレクション全体から一定数のサンプルを抽出しての標本調査となる。それらの調査により資料の状態を査定し、同時に資料の価値及び利用見込みを想定して、コレクションの保存ニーズを把握する。次いで保存ニーズに合致し、自館の能力に見合う現実的な計画を立案する。それを言い直すと「診断→処方→処置」の実施サイクル、あるいは「保存診断→計画立案→計画実施」のマネジメント・サイクルとなる。この種の工夫が考案され実施されるようになった。その先駆的事例として、1980年代の米国国立公文書館(National Archives and RecordsAdministration)の「NARS20年計画」を挙げることができる9)。コレクションの保存ニーズ調査と保存計画立案は、それ以降の図書館・アーカイブズの保存活動に大きなインパクトを与えた。3.4複製技術の活用4番目に複製技術の活用を取り上げる。古代より、書物・文書の収集・保管・保存・流通に、「写す」技術は欠かせないものであった。しかし、図書館・アーカイブズにおける現代的意味での複製技術の活用は1930年代に端を発する。1928年にアメリカのコダック社(Eastman KodakCompany)がマイクロフィルム専用のカメラを開発し、その後、マイクロ写真技術が新聞保存等に活用されるようになった。マイクロ写真技術は、まずアメリカで、そして1940年代? 50年代にかけて世界的に普及した。日本における同技術の導入は第二次世界大戦後で、そこでも最初のマイクロ化の対象は新聞であった。マイクロ技術はその後、幅広く普及したが、それを資料保存のための手段として再確立したのは、酸性紙問題への対応においてである。ビデオ映画『スローファイヤー:緩慢なる火災』を見た人は記憶しているだろうが、酸性劣化した資料の救済手段としてマイクロ写真技術が再認識された。と同時に資料保存のためにマイクロ化する場合の要件、手順も確立した。それによって初めて、マイクロ写真技術が史資料の長期保存手段として確立した地位を占めることができるようになった。それと同時に、このように複製することを「内容保存」とも称し、複製が保存方策の重要な一翼を担うことも再確認された。この点を少し敷衍すると、一般に図書館・アーカイブズの利用者が必要とするのは「モノ」としての資料ではなくそこに記された「内容」である。資料の書誌的研究、書物史研究、製本構造の考察、文書の真偽・時代鑑定等のために「モノ」としての資料を必要とする利用者はいる。しかし、一般の図書館・アーカイブズ利用者が必要とするのは「モノ」としての資料ではなくその「内容」である。「内容」はマイクロ化などの複製によって減ずることはない。そこから、「内容保存」と言う新しいコンセプトが生まれた。当然のことのようだが、この理解によって複製技術が資料保存の手段として認知されることになった。利用は複製物によることにし、原資料は利用に供せず、それによって「モノ」をよりよく保護する考え方も他方にはある。保存と利用を促進する手段として複製技術が認められるようになった。ほぼその頃にデジタル化技術の発展、インターネット環境の整備が進捗し、資料複製技術は大きく様変わりした。マイクロ化に比べ、デジタル化は大きな利点を有する。インターネット提供も含め、デジタ14