ブックタイトル近代テキスタイルの保存と修復

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概要

近代テキスタイルの保存と修復

ことで、長期安定性のある化学物質が特定できるようになり、製品もかなり選別されてきた。1986年に出版された保存材料学の基本図書であるチャールズ・ホリー(Horie, C.)著『保存のための材料:有機凝固剤、接着剤、コーティング』は2010年に改訂され、新しい研究成果が反映されている57)。合成樹脂の使用から半世紀以上を経て、合成樹脂に可逆性がなくなり再処置できない事例とともに、やり直しができた事例など、現在は過去を検証し、次にすすむためにこれまでの方法を評価する時期にきている58)。2011年にはCCIで接着剤をテーマにした国際会議が開催された59)。本会議では、新しい接着剤の事例よりもむしろ、ドライフィルムを製作する際の道具や方法の違いで剥離のしやすさや接着剤を取り除く時のテキスタイルへの残存率といった、技術の精度を上げる研究に注目すべき報告があった60)。劣化して切断された繊維をつなげ、時間がたってもやり直せるような保存修復材料の決定打は今のところ見つかっていない。かつてイェイエルが「未来のためにオプションを開けておく」と述べたように、脆弱なテキスタイルにできるだけ介入しない保存方法も一方で研究されてきた。プレッシャーマウントは日本でも注目され始めたが61)、歴史的なテキスタイルの補強に接着剤を使用することに疑問を持つメトロポリタン6 2,6 3美術館の梶谷宣子)やアベッグ財団のフルリ=レンベルクが改良してきた。アベッグ財団では45年前の大型プレッシャーマウントを解体した際に、テキスタイルにもマウント素材にも問題がなかったと報告している64)。プレッシャーマウントは内部の湿度上昇が問題視されていたが、加圧したマウント内の親水性、疎水性素材の組み合わせと外部環境の温湿度変化に対する内部環境の推移に関する実験報告もある65,66)。糸や接着剤で接合する補強法は新しい材料の付加を伴うので、介入的処置(interventivetreatment)または治療的処置(remedialtreatment)と呼ばれる。テキスタイルの保存方法はこれに限られたものではない。予防保存(preventive conservation)の考えを踏襲した各種マウント法があり、非介入的処置(noninterventivetreatment)、または受動的処置(passive treatment)として、技術的にも進歩していることを日本においても認識してもらいたい。テキスタイルの保存と修復のオプションは広くなってきており、接着剤の使用は「最終手段」であること、その時の処置が決して最後の処置にはならないことを念頭におくことが大切である。間違っても時間を短縮するための処置技術ではない。終わりにヨーロッパにおいては100年以上前から、歴史的なテキスタイルを有形の歴史的証拠というスタンスで、日用品とは異なる意識で保存を始めている。テキスタイルの保存領域を今日の形に方向づけた先達の議論は、今も色褪せることなく大切な指針となっている。「縫製的処置に対する化学的処置」という議論を経て、合成素材を使用した様々な保存と修復法が開発され、その経験と科学的検証により合成素材が選別され、技術的な精度の向上へと向かっている。現在は、新たな合成樹脂の探求よりもむしろ、適応の際の応用や実用化の工夫でより安定性の高い接合法を研究する時期に入っている。その一方で合成素材によらない保存方法も研究され、科学的検証が行われ、同じように技術的に向上してきた。日本における近代テキスタイルの保存と修復は、欧米よりも遅れたスタートかもしれないが、その経験から学んでゆけば日本の事情に適した方法論を見出せるのではないかと期待する。近代におけるテキスタイルの保存と修復33